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空気を読むより大切にしたいこと

日本にいると、共感とか他者の気持ちを察する
ということが当たり前のように求められる環境にいることが多い気がする
(空気を読む、なんて言葉もかなり定着してるよね)
これがあることで、大多数の人と”同じ気持ち”のような感覚になれて
安心に似た気持ちを得られていた気がするけど
最近、この共感とか察するみたいなものが
気持ちを追い越してしまっているような気もしている

パートナーとの会話の中で彼が言葉に詰まると
『こういうことだよね?』とか『大変だよね』など
”相手の気持ちを察して”私が代弁して、会話をつなげるのが
私の癖で、結構いい線の読みしてる!くらいに思っていたんだけど
これは、とんだ間違いで私の自己満足でしかなっかたんだよね

本当に相手がどう思っているのか、どう感じているのか
相手の言葉で聞くまで、そこにいるというのが私にできる最善で
先走って勝手に心を読んだりする必要はないんだよね
なので、私は空気など読まずに目の前にいる大事な人の
本当の気持ちだけに集中したいと思う

パートナーは2歳の息子にも
『楽しかった?』など聞かず、『どうだった?』と質問したりする
内心、答えられるの!?なんて思ってたんだけど
『面白かった』とか『◯◯好きー』とか答えたりするから
こちらも勝手に決めつけず、オープンな質問を心がけたい

もう時間に追われることなんて全くないのに
心だけせかせかしても、良いことないからひたすらにのんびり行こうと思う


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