「幸せ」の正体
人生うまくいっている人と、人生うまくいっていない人っていますよね。
同じ人間なのになぜ違うのでしょうか。
人生がうまくいくとはひらたくいうと「幸せ」というものに置き換えることができます。
よく言われている「幸せ」はこのように言われています。
①出世する。有名になる。お金持ちになる。
私は疑問がありました。この「幸せ」とされていることは、誰もが可能なことなのでしょうか?
私は社会に出てから、社会福祉士や精神保健福祉士になりました。そして、初めて、重度の身体障害者や精神障害者の方に会いました。ショッキングな話ですが、「重度」というものがどれくらいのものかといいますと、「IQ判別不能」「五感(視力・触覚・味覚・嗅覚聴覚)があるのか不明」「身体障害と精神障害が合併し知的障害に加えて現在70歳の高齢者」となります。
その他にも、「自分の世界」に入り込んでしまって、傍に人がいるのに完全に無視しているかのようにふるまう「自閉症」の方など。
そういった方々からすると、残酷な話ですが「無理」に思えます。
②結婚して、子供を持つ。
→身体的に子供ができない方はどうなるのでしょうか。
③人間の欲求は無限大にあるので、心の隙間を埋めるには「他にまかせる」・・・「他人」「地域」のためにする「貢献」であるというもの。
④自分が神に愛されている尺度として「お金」であり、より「お金」を獲得することが大事。そこから転じて、勤勉に働き続けるというもの。
⑤他人と接することが幸福である。誰もがそれを「幸福」だといい、それを嫌う方は「嫌う」という残念な出来事があるというもの。
こういった考え方になると①や②よりは救いがあるように思えますが、どことなく違和感があります。
私は内向的です。このように言うと、皆が失笑しますが・・・。
よくよく振り返ってみると、部屋にこもって、テレビをみる。好きなゲームをし続ける。本を読むことが好きです。うまいものを食べ、好きなだけ走る。これが満たされればいいなぁとさえ思っています。
ですが、人間(生物)なので、衣食住は必要です。死ぬまで完全に確保されていないので、働くために外に出ているわけです。
こういった価値観からすると、③・④・⑤もかなり怪しくなってきますね。
「幸せ」というものは、もっとシンプルなものだと考えますね。
たぶん、これです。今のところ、覆りませんでした。
「幸せ」とは五感等の感覚によるもの。そして、まったく五感にかからず「まったくなにも感じない」というものも含まれる。そして、自分自身が「心地よく感じられる」ものであるところです。
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