そんな野球部を辞めようと思った。

~焦り~

高校2年、秋。
成績が伸び悩んでいました。

文系クラス37人中13,4番にまで落ちてきてしまっていました。夏休みを終えしばらくは一桁をキープしてた成績。僕は変わらず頑張っていたつもりでした。

朝6:30に起きて、7:00には電車に乗り、8:00に登校。授業は極力、真面目に。19:00まで部活をして20:00過ぎに帰宅。1時間で食事と風呂を済まして、21:00から2時間で予復習を最高のパフォーマンスで。30分だけテレビを見て11:30には寝る。高校2年まで4年ぐらいやって来たサイクル。

娯楽の漬け入る隙のない生活。
限界だった。少なくとも17歳の僕は思っていた。これ以上勉強時間は増やせない。

「東大に行きたい」

純粋無垢な願い。憧れだった。ラ・サールが楽しかった。もっと面白い、頭の良い人間が集まる場所に行きたい。勉強時間を増やさなければ。野球をしてる場合ではない。
「人間とはやらない理由と出来ない言い訳を探す天才なのだ。」
僕は振るわない成績の責任を野球に押し付け、自分を追い詰める張本人である野球を嫌いになっていた。


~僕、野球部を辞めようと思います~

練習に身が入らなくなっていた。迷いがあった。どうせ辞めるし...ただ、自分を思い留まらせるものがあった。

「尊敬している人は誰ですか?」

ときどき聞かれます。僕は今でも高校野球部のキャプテンと副キャプテンと答えています。一人ずつ紹介しましょう。

副キャプテン・佐藤太朗
ちょっと名前だけで笑ってしまう。こんなに日本人代表みたいなやついるのか。正直、顔も裏切らない面白さだ。なんら特徴がない。
成績は負けることの方が多かったけど当時は同じくらい。野球も才能はそんなにあった方じゃないと思う。

ただ、本当に尊敬していた。
こいつのバッティンググローブは汚かった。破れて、ボロ雑巾のようで、血がいつも滲んでいた。こいつは変な走り方をしていた。毎日あのスケジュールの中、10kmぐらい走って、ほぼ毎日股ズレを起こしていた。

左手の親指の付け根は、バットを持つ右手と擦れて、いつも血を吹いていた。見ているだけで痛かった。しかしこいつは、いつもフルスイングだった。

監督に言われたことがある。

「2から9まで太朗がやるチームじゃダメだ」

こいつは献身的だった。誰よりもボールを拾い、走ってグラウンドに出ていち早く準備をしていた。

そして何より、諦めなかった。
どんな状況でも負けが決まるその瞬間まで勝利を目指していた。

キャプテン・匿名希望
頭が良かった。学年でトップクラスだった。野球の才能にも恵まれていた。
コミュニケーションが苦手でキャプテンであることにすごく悩んでいた時期があった。何度か見た涙が印象的だったのを覚えている。

こいつも尊敬していた。こいつは僕の価値を知ってくれていた。ベンチでの努力や後輩とのコミュニケーション、案外深い話をすることも多かったと思う。医学部の後期試験の前に送ったメールも懐かしい。

直接言ったことはなかったが、僕はこいつのお母さんにすごく感謝されたことがある。あまり心当たりはないのだが彼を支えていた一人だったらしい。実はそんな話も聞いてみたい。

こいつら2人と離れてしまうことは自分の人生でとても大きなものを失うことを意味していた。本当に尊敬していた。それが僕を思い留まらせていた。

仲の良かった同期のなかには辞めるかどうか揺れてるやつもけっこう多かった気がする。中屋という中学からの仲間が一人辞めたこともあったのだろうか。退部という選択肢がそれほど遠くにない仲間もいた。

僕は最低だった。その中の一人、坂元に声をかけ、一緒に辞めることを提案した。煮え切らない返事が続き、ダラダラと1ヶ月ほど経っていた。迷いがあったこともあり、野球にも身は入らず、成績はまた下を向いていた。

そしてどこから漏れたのか、監督が僕が辞めようとしていることを知ったらしい。監督は僕を呼び出すことはしなかった。あくまで自分の意志を問いていた。

体育科職員室のドアをノックし、西田監督のところへ。

「僕、野球部を辞めようと思います。」

監督と二人で話したのは人生についてだった。


~野球が好きだった~

監督にいつものような恐ろしさはなかった。すごく真摯に17歳の悩みを聞いてくれた。夢の話をして、目指す場所の話をして、退部を検討していることを伝えた。僕は話をしながらいつの間にか泣き出していた。心のどこかで、「これでいいのか」と迷いがあった。監督の一言は、僕の夢も目標も傷つけずに、きれいに迷いだけを掬いとってくれた。

「野球、好きなんだな」

涙が溢れた。監督はきっと全て分かっていた。何で悩んでいるのかも、迷いがあることも。僕を思いとどまらせているのが他でもない"野球"を通して出逢った仲間たちであったことも。17歳の青い青い悩みを、一言で振り払ってくれた。

僕は野球が好きだった。一生の友達になる仲間に出逢わせてくれた野球が。色褪せない思い出をくれた野球が。監督は続けた。

「野球をすると、豊かな人間になれるんだ。おれは君たちほど勉強をしてきてない。ただ野球はしてきた。野球で学べることはたくさんある。おれはお前らに、豊かな人間になってほしい。」

僕はもうその答えを知っていた。野球を通してとてつもない数の教訓を得た。野球を通してしか気づけない、人の努力を見た。


~変化~

野球を続けることの意味を見つけた。
極論、野球ができる必要はない。野球を通して学ぶのだ。勉強でもそうだ。勉強を通して学ぶのだ。

決して勉強だけできるやつになってたまるか。

迷いが消えた。野球には恐らく初めて全身全霊を注げた。バッティングがメキメキと伸び、代打で必ず出場するようになっていた。「3年だから出してやる」という温情の代打ではなく、ここぞという場面の戦略的な代打だった。初めて野球の実力で居場所をこじ開けた。

成績も上がった。効率的なやり方を探した。削れるかもしれなかった野球をする時間を、削れない時間と判断してからはその時間をどれだけ効率的に使うかに頭が働いた。

迷いを取り去ると、人は結果を残せるのだ。
この発見は僕の時計の針に勢いをくれた。

迷わない。僕は明らかに決断力をつけていた。基準も明確になった。

どの選択が自分を最も豊かにするのか。
僕は人生を豊かにする物事に「楽しい」という形容詞をあてはめた。
僕は人生の決断を、「どうしたら楽しいか」という基準で決める。

生きる基軸ができた。

~聞いてみたい~

なんか案外色んな人が読んでくれていたので。僕は読んでいるみんなに聞いてみたいことがあります。人生の大切な決断を自分で決めていますか?

この話に登場した17歳の青年は最低でした。同じ悩みを抱える者を誘い、一緒に辞めることを提案した。そいつに決断の一端を担わせ、自分の人生への責任を放棄しようとしたんです。

何かを辞めるとき、始めるとき。誰か恋人と別れるとき、付き合うとき。相談して、相談相手に決断の責任を押し付けていませんか?

なんで?と質問が来たとき、自分なりの答えを持てているのか。○○が言ったから。そんな答えにならないか。

人生を豊かにするために、この質問にいつまでも胸を張って、決めたのは自分だと答えられるように。志を新たに。

では、また。

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