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「時政その頃 」 vol.1 祖父の遺稿をnoteで発表することにしました

ワタクシが小学6年生のときに他界した母方の祖父がノートに小説を書き残していました。それがなぜかワタクシの手元にあり、長い年月が経っていましたがこの度「note」という場を借りて発表することにしました。

祖父は神童と呼ばれるほどの天才で当時飛び級で大学に進学。海外へ留学したこともないのに英語ほかドイツ語などもペラペラだったのを覚えています。百貨店や商社に勤務していましたが物心ついたときには定年を迎えており、癌でこの世を去りました。山登りと写真撮影が好きで何度か一緒に山登りしましたが、いかんせんワタクシたちはまだ小さかったので本格的な登山はできず物足りなかったことでしょう。

ワタクシが写真を始めたのは祖父の使っているカメラを譲ってもらったことがきっかけなので、その点には本当に感謝しています。いまだにその時のカメラは形見として保管しています。

祖父は小説家になりたかったらしくひっそりと小説を書いていたとのこと。そのうちの一つだけがワタクシの手元に残りました。

今回発表する「時政その頃」は「北条時政」を主人公に描いた時代小説であり、祖父は歴史にも造詣が深かったことを伺わせます。5万文字を超える分量なので2,500文字前後ずつに分けて投稿いたします。

どこかの出版社の編集者の方、面白いと思ったらぜひ出版をしていただけると幸いです。Kindleでも構いませんので…。

できるだけ毎日投稿しようと思いますが、忘れたらゴメンナサイ。では、はじまり、はじまり。


時政その頃

一.
「神輿振りじゃ、神輿振りじゃ!」
「 神輿振りじゃぞっ!」
口々に喚きながら、ばたばたと地下人が駆け抜けた。
「山門の大衆が、また暴れだしたぞ!」
という叫びも混じっている。
どの顔にも緊迫の色と恐怖の表情が浮き立って見えた。五月晴れの明るい日の下で、路も、土塀も、その中に静まる木々の緑も、家の甍も、そして路行く人も、それまではもの憂いぐらいにひっそりと長閑であった都の一角が、この叫びを境にして、降って湧いたような興奮と混乱に包まれていった。

 通り合わせた人たちは、一瞬立ち止まって、これに目を据えると、みな弾かれたように思い思いの方に、同じ叫びを伝えながらかけ出したし、或る者は土塀の脇に立ちすくんで、途方にくれたような眼で、湧き始めた人の動きを見つめていた。

 その時、そこを通りかかっていた北条四郎も、何事が起こったのかと、人々の駆けて来た小路の上に思わず瞳を据えた。体こそ、もう人並みに大きかったが、顔のどこかにはまだ童の面影が残っているし、輝く二つの目は栗鼠のそれのように愛くるしい。
 
 あわただしく駆け抜ける人の姿の他には変わったものが見当たらないのを見てとると、四郎は夢中で人の波に逆らって足早に歩き出していた。
 神輿振り ー それは、何のことか?早く知りたいとの無意識の焦りが更に足を早めるの出会った。

 そして、ぼんやりと立って人の動きを眺めている老婆の傍を通り抜けようとしたとき、思わず足を止めて、心は前に急ぎながら、
「何が起こったのですか」
と聞いていた。
「さぁー」
と老婆は一度首をかしげてから、
「比叡の衆徒が、また神輿を振り立てて暴れてきたのでしょうな」
と言った。
「神輿を振り立てて暴れる?」
「もし本当なら、それどすわな。ああ怖い ー 山門で、なにか気に入らぬことがあると、衆徒が神輿を舁いて山を降りてきて、代理に訴えるのどす。大勢が薙刀を振りまわして何の関わりもない我々に当てつけるようにしての、怖うてはたには居れん」
「そんなことがあるのですか」
「はあ、昔はおへんなんだがな。若い時分は、そんなことは聞きまへんどした。もう何年になりますかいな、わたしが知ってからこれで三度目どすかな ー みちみち暴れよって、みな戸を降ろして中で縮こまって生きた心地もおへん」
代理に訴えるというのに、四郎はまた人の波に分け入った。
 
 大路へ出た。もう、大方の人たちは小路へでも逃げ込んでしまったらしく、ここでは駆け抜ける人の姿も見当たらず、嵐を迎える無邪気さで、大路は広々と静まっている。四郎はその大路の名を知らなかったが、それは東西に延びる一条の大路であった。
 
 その大地の東へ眼をやった時、四郎は「うむ!」と唸った。
 もうもうと巻き上がる雲のような土煙の下を御大勢の人の群れが大路を埋めて押し寄せてくるではないか。もう間近い。
 白と黒の単調な服装が鮮明にその姿を浮き立たせて、目に痛いほどであったし、その中ほどに舁き立てられた三基の御輿とその頭上を埋め尽くした薙刀の林は、おりからの陽の光に輝いて、きらきらと絶え間なく黄金と銀の光を撒いていた。

 白い法衣の上から胸だけは鎧をまとい、下半身は黒い袴、頚から上は顔の半ばを残して頭まで、すっぽり伯父を巻いて包んでいる。
手に手に薙刀を握りしめ、僅かに覗く顔中に怒りを漲らせて雪崩込む、この一団を包んで、行き詰まるような殺気が立ち篭めている。

 噂に聞いた都の僧兵とはこれなのかと思いながら、四郎は小路の脇に身を寄せて、この夥しい衆徒の群れを遣り過したが、神輿に目が行ったとき、 なるほど、これを神輿振りとは巧くも言ったものだと感じ、この服装とこの殺気では地下人が恐れるのも無理は無いと頷いた。むらむらと好奇に湧き立つ若市を抑えかねて、土塀の際や家の軒先に身を庇いながら、夢中でそのすぐ後を追い始めた。
 
 この時、四郎の父時政は、番役(領主に対する労力奉仕)で伊豆の北条から都に上って、その家の子、郎從たちと二年近く在京していた。
 その父の留守に北条の地で獲れた穀物、麻、絹など権門への運上(貢ぎ物)の数々を宰領して父の許へ先日登ってきた家の子の一団について、四郎は独断で伊豆を出て来たのであった。
 
 父の留守を預っている兄の三郎は真面目過ぎてしまうし、妹の政子は気は合うのだが、このところ他に気を取られることもあって遊び相手にはなってくれず、その下の妹たちときてはまだ乳臭いうえ、当人同士で仲間を組んでいるから割り込めない。家の子に混ざっての毎日の武芸の練磨も、嫌いではないが単調さがやりきれない。館の外に出て新緑の山野を駆けめぐることも相手なしではすぐに飽きた。そんな時に、この運上の一行が北条を出たので、父には叱られ一行と共にすぐに置い解されるに違いないとは思ったが、家の子の世辞の上に胡坐をかいた道中だけでも退屈しのぎにはなると思って従いて来たのである。
 
 都に着いた一行の中に四郎の顔を見た父は、さすがに眼を瞠ったが、
「そんなに京都の空気が味わいたいか」と言い、
「俺の番もその内に明けるから、なんなら、それまで比叡に居れ・・・一緒に帰ろう」
と思いがけなく穏やかに言われて、却って気味悪く感じたものであった。
「だが、邸の人に知れると挨拶もさせねばならぬし、そう長いことでもないのに今更面倒だから、何食わぬ顔で郎從の中に混じって、そのように振舞っておれ」
と釘だけはさされて、兎にも角にも都に置かれることになった。

つづく…

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