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『人はいかに学ぶか―日常的認知の世界』から営業研修を今一度、考える

書籍の概要

『人はいかに学ぶか―日常的認知の世界』 (中公新書,1989/1/1,稲垣 佳世子 (著), 波多野 誼余夫 (著))
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本書籍の概要は、10章の冒頭に記載されている下記文章が分かりやすく、全体を捉えていると思う。(※ただし、だからといって書籍を読まなくても十分なのか?というと、そういう事ではなく、本書籍には具体的な研究結果等の記載が非常に多いので、是非、読んでいただきたい)

「 人間は、伝統的な学習観のもとで考えられてきたように、意図的・意識的に外から知識を伝達されないかぎり学べない、といった受動的な存在ではない。それどころか人は、生活上の必要をみたすために環境に働きかけ、効果的な手続きを学ぼうとする。さらに本来知的好奇心が強く、そうした手続きの意味を積極的に求める存在でもある。
 また生得的にもっている規則や、膨大な、しかもよく構造化されている知識といった(内的な)認知的制約、施設・道具や他者といった(外的な)制約条件、さらに文化的準備のおかげで、比較的容易に適切な解釈や仮説に導かれるようになっている。
 もちろん前章で示唆されたように、日常生活のなかで学ぶことに限界がないわけではない。しかしその限界は、科学的探求などのような特別な目的を除けば、決して致命的なものではないのである。むしろ、教えられたことにしか興味をもたず、また習っていないことに対してはまったく類推できない、伝統的な学校における子どもの姿と比べたとき、その能動性や有能さは、印象的ですらあるといえるのではなかろうか。
 もし理想的な教育の場というものを考えるなら、次の二つの要件をともにみなすことが期待されよう。ひとつは、そこでは学習者が、日常生活におけるように能動的でかつ有能な学び手であること、もうひとつは、日常的認知の限界を超えて理解を深める機会となること、である。」

ふまえ、営業研修はどうあるべき?

最近はだいぶ変わってきたが、まだまだ営業研修も学校教育と同様に、講師から受講者という方向での研修が実践されていると思う。
そこでは、講師が正解、セオリーを保有しており、それを受講者に教えるというような形で知識・ノウハウが伝授されている。
ただ、この方法には大きな問題があるのでは?と思っている。それは「自分の営業手法の何が問題なのか?を正しくは認識出来ていない」という問題である。

具体的にどのような事が起きているのか?というと、講師が言うことは「もっともなことであり、参考になる。ただ、自分には関係がない」とスルーしてしまう。もしくは「自分は確かにそれが出来ていない。教わったことを早速実践してみよう」と思うが、本当の原因と、自社への適用が出来ていない。結果、成果が上がらず、元のやり方に戻ってしまう、という。

では、何が大事なのか?というと、受講者間の対話を通じ、受講者で課題を発見し、その解決方法を見つけ出す。それに対して、講師が一般的には、このような解決方法があると例を提示し、採用する、しないは任せる。大事なことは、自分達で方法を考え、試してみる(実験する)ことにより、何が自分達に1番フィットするのか?ということを試行錯誤を通じて習得することでは?と。

というような事を書籍を読んで感じたところです。
あなたの会社の研修はどのような研修ですか?うまくいった事例、いかなかった事例があれば是非、教えてください。

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