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自分と自然と


(日本語の語源を調べるのが好きです。)
は自分の「鼻を描いた象形」文字
「自然の分身」という説もあり
本来備わっている性質「本分」という語源ですって!

初めて知った・・・うなる。

では、自然の語源はどうでしょう。
「自」は「おのずから」「みずから」
「然」は「そのとおり」「そうである」

私は、運気を信じる土台として自分を信じることが大切だと伝えています。
これは、方位や気の流れなどに乗ってもらって実感していることです。
自分を信じている程度によって、気に乗った時の程度の違いがあるからなのです。

村山幸徳先生は、なぜ私たちに両方教えたのか考えました。
1つは人間はズレるかから
2つ目はそれが自然なことだから
3つ目は人間は自然を含めた生命だから
宇宙自然界の理だからです。

前提として地球の学問であるというところです。
気の波動の図を見れば、中央に人間(自分)八方に自然があります。
自然と必然で成り立っています。

自分と自然を聴いて

先生は度々「伝わりますか?」って私たち生徒に確認しました。
また、話を聴いているのか(聴けているのか)も重視されました。

そもそも先生は話を聴ける人だったことがきっかけで、細川内閣の秘書になた人です。

聴けること。運気より実は大事なことだと思います。
比較対象ではなく、宇宙自然界の理に存在する限り
生命のあり方としての自分(本分)と自然の共存だということです。

これがマスにとっては容易ではない理由。
占いとか運気の方が耳心地がよくわかりやすいからです。
人間のやることだから、むしろ複雑にしている気もしませんか?

私は「運勢を説くより思想と文明を描こう」
という先生の言葉が忘れられません。
私の原点です。

どうしてもこの本質を伝えたい。
そのために、マスに蔓延る運気も運勢も容認し、
これを「種類の違い」として伝えていくことにしました。





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