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とんでもスキルで異世界放浪飯


とんでもスキルで異世界放浪飯


  • 向田 (ムコウダ) (左、主人公)

  • フェンリル (フェル) (右)

  • スライム (スイ)

可愛かった。
二個思うことがある

  • 実生活をコンテンツにされるのは嬉しい

  • 主人公たちが、できなかったことができるようになっていく過程を、自分のことのように追えるのが楽しい

実生活をコンテンツにされるのは嬉しい


美味しそうにご飯を食べるのをみると、ついご飯が食べたくなる。
むしろ、何か生活がつまらなく感じた時に、物語をつけ足す感じでコンテンツを補給する
ヒロアカとか、何かを成し遂げていくようなアニメも、見ている中で自分も何か挑戦してみたい気になってくる
ゆるキャンとかもその一種だろう。今のアニメ視聴者層のニーズは、物語の補給なのかもしれない

主人公たちが、できなかったことができるようになっていく過程を、自分のことのように追えるのが楽しい


二つ目はRPGゲームとかにも共通すると思う。
みててドラクエやりたくなってきた。これはもう色々と廻った現象な気がする。
アニメ見る -> 描かれた体験を追体験したくなる -> 成長体験が得られるコンテンツとして {"人生", "RPG"} -> RPG を選ぶ

一方で、向田がやっていることというのはただの転売である
自分の世界で得られるものを、異世界で利用する。商人としては、コショウやシャンプーなどを転売し、料理人としては焼肉のタレなどを用いて異世界人たちの胃袋を掴む。

そこから得られるのは二つの感想だ。
一つは、やはり異世界の話だということ。自分も"異世界にいけたら"こんな裕福になれると、あくまでも空想の中で話を完結させることで、視聴者に不快な感情を抱かせない。もしこれが、(展開として想像できないが)途中で向田が現実世界に引き戻され、また一般的な暮らしに戻るような展開があったら、視聴者に内省を促すような作用を持ってしまう。そういった、作品としての問いかけというものが一切なく、ただ幸せに嬉しい気持ちでずっとみられるアニメなのだ。

しかしにもう一つは、異世界に映し出される昔の暮らしと対比して、現代が物質的に豊かであることを再認識させられるのだ。我々はそんなにただの唐揚げにありがたみをもたない(むしろ自分は胸焼けのするものとしか最近思えてなかった)。生活の中で、精神的な部分で願望に飢えた気持ちになることがある。そんな人に、今手にしているものに対して満足することを思い出させてくれる。

アニメを振り返ってみて、満足とは物質的なものでは得られないのかもしれないと感じた。僕らと向田やフェルが食べているものは同じだが、唐揚げが僕らよりも彼らを満足させるのはなんなのだろうか?

しかし、飽きというものはある。実際、たくさんのオーガ肉を向田が仕入れた時、"飽きないようにレシピを考えなきゃ"と言っていた。彼らが満足するのは、それに対する新鮮さも寄与しているはずだ。

我々は新鮮さに満足する一方で、普遍性も好む。それは相反するものではないが、趣向は変化する。今自分がどんなものを好んでいるのか、アニメを見て振り返ってみてほしい

(このアニメ、イオンとか普通に会社名出てるし、コマーシャルなのかな? テレビCM 作るよりもこっちの方が効果でそう)

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