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42とは何かを考える

追記: https://www.youtube.com/watch?v=eawhnhTO2oY&t=97s
僕にとっての42↑
記事を公開してから見たけど感動した。かっこよすぎ。

42はnote 様に協賛いただいているので、自己紹介記事を書いて運営に報告するとnote プレミアムが貰える。それも理由で前回42に関する記事を書いたのだが、審査が通らなかった(?)のでもう一度チャレンジを兼ねつつ書いてみる。

https://nop42.medium.com/42%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-995e78044d28
この記事を見かけた。読むのを途中でやめて、まず自分で42を定義してみようと思った。

場所を定義するわけだが、あんまりやったことがない。関係性とかも、安易に口に出すと安っぽく感じるものだ。少なくともすべてを言葉で表せるわけではない。文句を言っていても現実は変わらないので、とりあえず他の人のやり方を見てみよう。

公園(こうえん)とは、公衆が憩いまたは遊びを楽しむために公開された場所(区域)。 従って公共性が高い団体・組織によって供され運営されることが多い。 対象となる場所は目的に適したように整備されるが、元々の自然状態を保つことが優先される場合もある。(公園 - Wikipedia


気になったので英語版のwikiも。
公園とは、人間が楽しんだりレクリエーションをしたり、野生生物や自然の生息地を保護するために確保された、自然、半自然、または植林された空間のことである。都市公園は、町や都市内のレクリエーションのために確保された緑地である。国立公園とカントリー・パークは、田園地帯のレクリエーションに使われる緑地である。州立公園や州立公園は、州や政府機関によって管理されている。公園は草地、岩、土、樹木で構成されるが、モニュメント、噴水、遊具のような建物やその他の人工物を含むこともある。多くの公園には、野球やサッカーなどのスポーツをするためのグラウンドや、バスケットボールなどのゲームをするための舗装された場所がある。多くの公園には、ウォーキングやサイクリングなどのためのトレイルがある。水辺や水路に隣接して作られ、ビーチやボート乗り場がある公園もある。都市部の公園には、座るためのベンチが設置されていることが多く、ピクニックテーブルやバーベキューグリルがある場合もある。

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
Park - Wikipedia

なるほど。厳密に場所を隈なく定義するのではなく、その場所を設置した目的についてのみ言語化することで、実体にゆらぎが出ていい味になる。また、これは利用する側の目的を限定しない。公園を利用する人間にとって公園とは、集合場所であったり、喧嘩をする場所だったり、楽器を吹ける場所だったり、告白した場所だったりする。

(ここで日を跨いで)改めて公園の定義を見直してみると気に入ってきた。

公園(こうえん)とは、公衆が憩いまたは遊びを楽しむために公開された場所(区域)

憩い または 遊び を楽しむ。
楽しむは憩いにもかかっているだろうか。それに加えて、遊びを楽しむという言葉にも新鮮な響きを感じる。あそび という言葉から連想するのは、ねじのやつ。

機械の作動や取り付けを円滑にする目的で、機械の部分同士を密着させず、その間に意図的に設けた隙間のこと。 位置決めなどの微調整をしやすくしたり、部品の取り付け時にネジ穴のすき間をわずかに大きくすることで、なじみや座りをよくしたりする働きがある。 遊び(アソビ) - 建築用語集 - 東建コーポレーション

社会が整理され、それぞれの組織が歯車になる。全てがみっちりと目的と手段の関係に組み込まれると、かえって体になじまない。公園とは、利用者側にとって目的意識の薄い場所である。先ほどあげた公園の利用例をとっても、どれも公園は背景として存在し、ディズニーやチームラボ(娯楽施設)のようにそれが主役として存在するのではなく、さりげなくいるのである。

ところで、公園で遊べることは少なくなっている。ボール遊びできるところの方が少ないのではないだろうか(東京のことしか知らないが)。

松山市

公園が遊べない理由。それは、ルールがないからではないのか?子供がうるさかったりしても、注意していいのかわからない。ボールが飛んできても、怒っていいのかわからない。被害があったら、どんな風に対処すればいいのかわからない(もし友人の家族とそんなことになったら。。)

ルール外の出来事に対処できない。翻って、出来事はルールで対処する。それがコンプラソサエティ!

(ふと、ナイトクラブが、ナイトクラブを目的とされているかといえばそうではないので、そういう意味で公園と近いのかもしれないと思ったのだが、遊びづらくなったりはしていないことが不思議に思ったが、公園よりは目的意識があるし、ルール管理はしっかりしていそう。)

42に話は戻る。私は42のpiscineでrush を受けた時や、piscine を共にするエンジニアの雰囲気に惹かれた。今取り組んでいる課題のペアにこの話をした時、ペアが言った「大学の部室にいる、何浪してるのかよくわからない長みたいなやつ」という表現が気に入っている。大学は入ったことないけど、雰囲気はそんな感じ。

長みたいな人は、特異な雰囲気や趣向がある。きっと彼らは、大学にとって必ずしも喜ばしい存在ではない。就職はしないし、関わった人を同じ道に引き入れることもあるかもしれない。正解の外にある存在として、存在している。いること自体、規則に反しているわけではない(あるいは反しているかもしれない)が、省くことができない。

遊びことは能力であると、今やっている映画の怪物を見て思った。マンホールに耳を当てて友達を騙すくらい。自分は彼を発達障害だと思った。文字が読めないところとかわざわざ用意されているあたり。そういった目立つ特徴が、人に役割を設定する。"目立つ"特徴がなければ設定された役割を疑う。

CPUに耳を当てている人が42にはいる。42の長感に私は惹かれた。それはピシンがオンラインであったことも影響しているかもしれない。

ちょっと考えてみて欲しい。日本人的コミュニケーションをするということを考えた時、知らない人が200人くらいいる環境に居たいだろうか。普通に集中は分散して、ちょっと疲れる。しかも教え合う。教え合うことはいいのだが、日本人的コミュニケーションとはちょっと合わないと思う。だから、流動性を抑えて、箱にする。これがオンライン42だった。

これは閉塞的なコミュニケーションを可能にする代わりに、新規参入のコストが高かった。あまりに人を選ぶ環境だった。(オンラインで一人で課題を解くのは辛いし、ボイスチャットに気軽に入れない人もいると思う)

最近、42の雰囲気が変わりつつある。ほぼ完全オフライン化し、人数も増えていっている。そこに、一種どんよりとした雰囲気を私は感じる。学ぶことが楽しいという前提が崩れてきてしまっている。就職や、結果を実現するための手段になり、あそびがなくなってきている。課題を解くスピードはどんどん早くなっている。

42 とはどんな場所か。記事を書いてから振り返ると、私にとって42 とは公園であった。あそびを楽しむ場所。


ここで終了してもいいのだが、もう少しだけ考えたい。私はあそびなのだろうか?ということだ。
これは個人の生き方の問題である。実際は誰もあなたに役割など設定していない。私がいきるということ、それがあそびだ

追記2:
nop さん

BORN2CODEを背負った人たちしか入れなかったエリート主義・実力主義だった過去の42の文化と、今後は誰でもコーディングできる大衆主義の42の文化。

10年後、また実力主義の文化が色強く出てくるかもしれないが、現状誰にもわからない。

わかるのは、文化の変容の狭間に置いてけぼりの学生が存在し、その人たちも取り残さない文化にしたいという、自分の思いが存在することだけだ。

https://nop42.medium.com/42%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-995e78044d28

第一の直感、納得。
第二の感想、大衆主義なんて、学校と変わらないじゃないか。
第三の感想、自分が操作しよう。

ということで、生きます


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