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イヤが否定だとして、スキが受容なら人は死ぬ

当たり前のことだ。もし「イヤが否定だとして、スキが受容」が本当なら、AさんがBさんと関わっていくためには、好きで無ければならない。

だから、逆説的に、イヤであることは否定ではないのだ。というのが私の(望む)世界。

いじられている人に対して、「私はそれ好き」と言うのは、私から見れば二つの世界で解釈できる。一つは、ほんとうにただ好きだと言うこと。Aという意見を言っている人がいるから、Bという意見を言った、それだけ。もう一つは、フォロー(受容)としての好きである。

それで、私は前者の世界を夢見つつも、好きと言う発言を後者の世界観で受け取りがちだ。それはコミュニケーションである。その気持ちを正直に相手に伝えてもいいのだけど、後者の世界観で生きているように私が見る人に、なんとなく伝える気にならないのである。


毎回記事の画像を決めるのは、記事を書いた後にすると決めている。書く前は、漠然としたモヤモヤからスタートするので、書き終えた時にどんな文章、どんな気持ちになるのか分からないからである。で、この画像の選定がかなり楽しいわけだが、今回はすぐ決まった。

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