馬頭さんか…
馬頭観音様、というのはお寺…仏教とはあまり関係の無い所…身近な存在への感謝、という意味での信仰だと思う。
本来なら体系化された仏様なのだろうけど、特に道端に置かれているものや、曰くつきの場所の祠などは、名前で結びついたものだと容易に想像がつく。
怪談の塩の長司という話は、こういった信仰の裏返しと現実を描いてるのだろうな、とも。
とはいえ、馬頭観音様自体はこれらの鎮魂のために祀られたのだから、こわいとかいうのはまた違うとも思うけど。
日本には非業の死を遂げた御霊を手厚く祀って、加護していただくという考え方もあるので…
きちんと向き合ってみるのもいいんじゃないかなと。
だいたい、手を合わせるのってご利益とか考えてないよね普通。
共感、この一言に尽きるんではないだろうか。
まあ、坊主なんかは在家がでしゃばるなとか色々言ってて、鼻で笑わせてくれるんだが。お前らのやってる事、中から見てたぞ。
こんなのが言う「きちんとした修行」なんてのも、必要な人はいるんだろうけど…
大事にする、という気持ちで心から拝むのも良いんじゃないか、と思うんだが。
いつも気にかけて、忘れない。
それだけでも十分信仰たりえると思うんだ。