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[秋帽子文庫]蔵書より_異質な他者との対決

本日は七月七日、七夕です。天の川を挟んで引き離された男女の物語は、古来多くの人を惹きつけてきました。万葉集には、七夕の歌が多数収録されているそうです(もっとも、太陽太陰暦に換算した今年の「伝統的七夕」は、来月の25日とされていますが)。
もし、雲に切れ間がありましたら、夜空を見上げてみてください。年に一度の出会いに輝く、二つの星が見えるかもしれません。秋帽子です。

さて本日は、グレゴリイ・ベンフォード「銀河の中心」シリーズより、第3作『大いなる天上の河』(グレート・スカイ・リバー)をご紹介します。スカイリバーとは、天の川のことですね。

シリーズ未読の方のために、ざっと物語世界の歴史を紹介しましょう。
時は遙かな未来。地球人類は、宇宙からやってきた機械文明との遭遇と、機械が送り込んでくる絶滅兵器との戦争を経て、機械が支配する銀河の中心付近に、大規模な探検隊を送り込んでいました。
機械文明のテクノロジーを身に付け、一時は繁栄を謳歌した人類でしたが、やがて、侵入に気付いた機械たちから攻撃を受け、宇宙空間に築いた壮麗な都市「シャンデリア」や、恒星間航路をつなぐ宇宙船を破壊されてゆきます。
滅亡の危機に瀕した人類は、周辺の惑星上に降下しました(「縮こまり」=ハンカー・ダウン)。重力があり、海や森林など高温多湿の環境では、機械が活動しにくいため、人類の存在を見逃してもらえる可能性が高いと思われたからです。
しかし、惑星上での避難生活も、長くは続きませんでした。何か人類には計り知れない理由によって、ゆっくりと、しかし着実に機械文明の活動範囲が拡大してゆき、人類は住処を追われて放浪を余儀なくされます。
小規模なグループに分かれ、機械の基地に潜り込んで補給品を奪いながら、砂漠化してゆく惑星上を放浪する人類。グループの一つ「ビショップ族」に属する若き父親キリーンが、本作の主人公です。

今回は、主人公が一人前のリーダーに成長していく物語としての、優れた仕掛けに注目したいと思います。
主人公のキリーンは、
(1)理不尽な危難に直面して、自らの無力や卑小さを自覚し、
(2)絶対的な他者との出会いを経て、
(3)世界における自らの使命や役割を発見して、
(4)仲間たちと協力して人生の舞台をつかみ取る、
というプロセスを体験します。成長物語としては、オーソドックスな構成ですね。
とはいえ、キリーンは家族の幹部として鍛えられた歴戦の戦士であり、トビーという息子もいるので、内面的には、かなり成熟した人格を備えています。平凡な人生であれば、これで十分ともいえます。
その上に、なお一層の試練を経て、キリーンは、家族を絶望的な状況から救い、新天地に導く「キャプテン」に磨き上げられていくのです。

その仕掛けとは、機械文明との圧倒的な力の差と、本質的な「わからなさ」です。機械は人類とは異なる価値を追求していて、銀河中心部を独占している目的もわかりません。
本作における人類と機械文明の戦いは、「ターミネーター」における人類とスカイネットとの闘いとは異なり、対等の生存競争ではありません。
機械文明は、普段は、それら自身が銀河の中心部で行っている、未知のプロジェクトに専念しています。エネルギーに余剰が生ずるか、人類による損失と浪費が目に余ると判断した場合に、経済合理性の許す範囲で、人類を攻撃してきます。人類は、この世界では、家の主人が我慢できなくなった場合に駆除される、害獣のような存在なのです。邪魔なことは邪魔ですが、むきになって攻撃する価値がある相手とは思われていません。
ただし、機械文明においては、下位の階級に属する機械の業務効率を高めるため、必要な資源を互いに奪い合う、弱肉強食の競争原理が導入されています。人類は、機械同士の競争の間隙を突いて、一時的な避難所を確保することができているのです。もっとも、人類の隠れ住む惑星全体が、機械に都合の良い環境に改変されつつあるため、この綱渡りを永遠に続けることはできません。逆に言うと、上位の機械は、自分たちのトラックを経済速度でゆっくり着実に走らせ続けており、人類を殺すだけのためにスピードを上げることはありません。人類と機械は、全体としては競争関係にないのです。
キリーンは、この事実に気付いており、一部の高度な機械が自分たちを襲うのには、人類の知らない、何か特別な意味があるのではないかと疑うようになります。

機械文明の側でキリーンのカウンターパートとなる「マンティス」は、人類の有限性に興味を持っています。マンティスは、自己を「芸術家」だと説明し、うねうねと動き回る人体の複製物で構成された、悪夢のような芸術作品を作るため、人間の人格を丸ごと採集しています。
マンティスは、惑星上でかなり高い地位と機能を有しており、時には、他の機械を欺いて、人間の保護地域を設けることすらあります。生け簀にとらわれた人間は、そのことを知らず、自分が賢く立ち回って、上手く機械を出しぬいたと考えています。

思うに、我々が現在置かれている環境においても、このようなすれ違いは存在しているはずです。
たとえば、グローバル資本主義の下における、自己実現を目指す個人の競争であるとか。実際には、格差そのものが資本の蓄積に利用されているのに、同輩に差を付けようと奮闘努力している人々のなんと多いことか。
また、その競争からある程度距離を取ることができる、恵まれた立場にある人が、自分の足元に踏みつけられている人々の存在に、なんと無自覚なことか。

人々を率いるリーダーは、謙虚すぎては務まらないのかもしれません。
しかし、世界には、個人の力や努力ではどうにもならない圧倒的な相手が存在することを知り、そのことを隠さず、正面から向き合うことのできる人であってほしいと思います。
本作において、キリーンは、マンティスという、強力で異質な他者と向き合い、それを「彼」と擬人化することなしに、対決し、ある援助を引き出します。自分たちの願望を裏返しに押し付けることのできない相手であることを理解したうえで、なお、相手にとって自分たちが有する価値を探り出し、一定の利益を得たわけです。
非常に危険な綱渡りですが、その報酬として、キリーンは、マンティスを単なる強力な襲撃機械としか認識しなかった人々よりも、少しだけ良質の希望を抱いて、次のステージへと向かうことになります。

ちなみに、本作の最後にキリーンたちが得る報酬は、惑星上に降下した時代の、キリーンたちよりはまだ高度な技術を有していた、人類の祖先が残した遺産の一種です。
成長物語が、「主人公が遺産を得る」ことで完結する。これは、近代英国のビルディングスロマン以来の伝統ではありますが、個人主義者の現代人としては、悩みどころですね。
確かに、逆境に直面した主人公が、他人の財産を収奪する、騙して出し抜くといった手段を用いずに、きれいに問題を解決してくれる手段として、遺産相続は便利な選択肢ではあるのです。
しかし、人間の自己実現が、何らかの新しい価値を人類や世界にもたらすことではなく、「実は先祖が金持ちでした」に回収されてしまうのは、いかがなものでしょうか。個人的には、どうも釈然としないところがあります。
ミステリならともかく、銀河系を舞台にしたSFですら、この呪縛を逃れられないのは、皮肉なものを感じます。今後、秋帽子プロジェクトでは、成長物語の結末として、遺産相続に代わる「何か」を探し求めていきたいと考えています。

最後に、ハードSFならではの、マニアックな考証に基づくガジェットにも触れておきましょう。
たとえば、キリーンたちビショップ族の装備です。定住していた「城塞」の陥落とともに、生産や医療の設備を失ったため、彼らは全財産を着込んで歩いています。首には、死者をデータ化したチップを埋め込み、先祖の知識を利用することもできます。
運動能力を補強するスーツを身に付けているため、彼らは、素早く動くメカの襲撃者(マローダー)と戦い、逃げ延びることができるのです。宇宙船を操縦していた先祖と違い、ヘルメットのディスプレイに表示される数値の意味を読み取ることはできませんが、その代わりに、臭いや味、音といった五感に変換して受け取ることで、周囲の情報を知覚できるようになっています。なんだか、「キーボード入力のPCは使えないけれど、AIスピーカーで最新の音楽を聴いている今時の若者」みたいで面白いです。
本作の表紙イラストを担当した加藤直之さんは、「ベンフォードによってパワードスーツは普段着になった」と述べています(『SF画家加藤直之 美女・メカ・パワードスーツ』より)。たしかに、戦闘時に初めて身に付けるのではなく、休息時以外はずっと着ているわけですから、「普段着」ということもできますね。本来はスポーツウェアであったジャージが、部屋着や寝間着として、また気楽な外出着として常用されるようになったのと、似ているのかもしれません。

なお、本書の下巻には、シリーズ第2作『星々の海をこえて』の追補として、第10部第8章が追加されています。
私の大好きなシーンがありますので、こちらもぜひご紹介させてください。初期2作の主人公であるナイジェルが、人類で初めて、機械文明の宇宙船に潜り込み、相手のスケールを認識するシーンです。

---以下、引用---
「そうかもしれん。しかし、考えてごらん。これは銀河系そっくり丸ごとの地図だ。」その口調は穏やかだったが、いま窮屈な部屋に入ってきた、ほかの者たちには、強い印象を与えた。
「あらゆる角度から見たものだ。ということは、誰かが――何かが――それをやったということだ。円盤の遙か上を飛んで、それを見下ろしたんだ。ガスや塵や古い死んだ太陽でできた入江を地図に描いた。それらを、みんな見たんだ。」
---引用終わり---

この壮大なイメージ。重力に縛られた惑星上でもがく一個人の苦闘と、銀河系全体を「上から」見下ろした何者かの視点が、同じ世界で起こった出来事として、一冊の本の中で同時に語られる。これぞSFの醍醐味ではないでしょうか。
どちらも、我々人間が創造したもの。我々の想像力が見せてくれた世界です。私もこのような世界を創造/想像したいものです。相続は…まあ、くれるというなら、あえて拒むものではありません。

2020年7月7日
秋帽子

〔蔵書データ〕SF、宇宙、異文明
『大いなる天上の河』上・下
著者:グレゴリイ・ベンフォード
訳者:山高昭
発行:株式会社 早川書房
ハヤカワ文庫SF 805、806
ISBN 4-15-01805-6/4-15-010806-4
1989年

30周年で六角形に!?深まる秘密が謎を呼びます。秋帽子です。A hexagon for the 30th anniversary! A deepening secret calls for a mystery. Thank you for your kindness.