短編 ネズミのルーレット

俺はレミングと言うネズミのことを思い出した。
詳しいことは分からない。唯一分かることは、その名前を思い出すと列をなしたネズミが次々と崖から海に身を投げ出す光景を連想してしまうことだ。
生存本能の一部としてそのような行動を取ってしまうのか、疑問がないわけじゃない。だが、ネズミが自殺するなんてことは信じちゃいないし、普段は気にもしない。しかし今、俺が置かれている状況は、不思議とレミングの末路を思い出させてしまうのだ。

こんな悠長なことを考えてはいるが、本当なら今すぐ大声を出しながら、この場から逃げ出してしまいたい。しかし、それはできない。なぜなら俺は潜入捜査官で、今潜入中のヤクザ連中に詰問されている最中だからだ。
きっかけは些細なもんだ。警察側の上司にあっていたせいで、ヤクザ仲間の危機に駆けつけられず、裏切り者呼ばわりされてしまったからだ。
港の倉庫に閉じ込められ、もう二時間近く罵声や怒号を浴びせられ、ど突きまわされ続けている。

時間は刻々と過ぎていく。俺はどうすればいいんだ。潜入して分かったが、嘘をつくとその嘘がばれないようにまた嘘をつく、そしてその嘘がばれるんじゃないかって言う不安が俺の神経をチリチリと焦がしやがる。そして極めつけはこの罵声だ、俺の落ち度や俺の不安をあげつらって俺の人格を否定してきてやがる。
もう訳が分からなくなってきた。体中が熱く、胃がせり上がってはきそうになるし、俺の頭の後ろがずんと重くなってきたときだった。

周囲が騒ぎ始めた。ヤクザの幹部が倉庫に入ってきた。俺が、俺たちが逮捕しようとしていた男だ。
「おう、おまんら、こがあに騒ぎよってどないしたんなら。」      幹部の男が部下に尋ねた。
「へえ、このボンクラ、自分の兄貴分が仕切っとる賭場にサツの連中が踏みこんだっちゅうのに、すぐ近くにおらんとみすみす兄貴をサツにパクらせよってです。」
別のチンピラも声を上げた。
「兄貴だけ捕まって、こいつだけサツから逃れよるんは、いくらなんでも格好がつかんですし、何より周到に場替えしとった賭場が摘発くらうんはおかしいゆう話になったんですわ。」
その言葉を部下が引き継いだ。
「そがいなことですけえ、こいつはサツのネズミなんじゃなかろうかということになりましてな、詳しいに話聞いたろう思て、こないに転がしまわしとるとこです。」
俺はネズミには違いないが、賭場の場所を警察に知らせた覚えはない。
「なるほどのう。」                         事情を聞いた幹部は、部下の方に手をやり、何かを渡すような仕草をした。そして
「おう、道具貸せや。」
そう一言を発すると、部下は懐から38口径のリボルバーピストルを取り出し、幹部に渡した。そして幹部の男は拳銃のシリンダーを開き、掌に六個の弾を落とした。そして、そのうちの一発をシリンダーに戻し、さらにシリンダーをカラカラと回して銃に戻した。そして
「椅子に座らせてやれや。」
と言うと、チンピラ連中は椅子を引っ張ってきて、その椅子に傷だらけの俺を座らせた。
幹部は俺に近づき、銃口を俺に向けた。
「なあ自分。実際の所どうなんじゃ。サツなんか?」
単刀直入に聞いてきた。俺は殴られて切れた口から血を流しながら
「そ、そがなこと、あるわけがなかです。」
と震える声で言った。
「そうか。」
というといきなり銃の引き金を引いた。
バシンという音がして、そのまま銃は沈黙した。弾は発射されていなかった。俺は余りのことに目をつぶってガタガタと震えた。
「ほ、ほんまにちゃうんです。ちゃうんです!信じてつかぁさい!」
精一杯の叫びだった
だが、幹部の男は俺のそんな必死の叫びなんてどこ吹く風で、銃口を俺に向けたまま、話を始めた。
「おう自分の兄貴分な、あいつは俺の弟分じゃがのう。俺が言うのも何じゃがカタギから無理に金を巻き上げるわ、アガリをピンハネするわ、挙げ句に婦女暴行で5年ムショに入っとった筋金入りの屑じゃ。」
「他の若い衆より長うヤクザやっとること笠に着て、他の若い衆に威張りくさっとったことも聞いとる。」
そういうやいなや、再び引き金を引いた。また弾は出なかった。俺は言葉にならない声を上げて暴れようとしたが、チンピラに押さえつけられてしまった。
「なかなか弾ぁ飛びださんのう。」と幹部は独りごちた。
俺は泣き叫んだが、頭に銃口を突きつけられ、
「おう、ジタバタするんじゃねえや!!」と恫喝された。
俺は黙らざるをえなかった。
幹部は静かに喋り続けた。
「俺はのう、あないな屑に引っ張られてヤクザになったおのれなんぞ、端から信用しとらんのじゃ。サツのネズミだろうとなかろうとのぅ。」
返す言葉もなかった。俺がこのヤクザ組織に潜入できたのは、幹部の言うところの「屑」につけいる隙があったので、それを利用したからだ。
「じゃがのう、いくら信用できんというて、片っ端から信用できん奴らをハジいとったんでは、俺らの組も成り立たん。」
「そがいなときは、どないするかわかるか?ああん?」
そういうとまた引き金を、今度は立て続けに二発引いた。
俺は頭を銃口から必死にそらしながら悲鳴を上げることしかできなかった。
「ほう、運の太い奴じゃのう。」
また二つとも弾は発射されなかった。幹部は泣き叫ぶ俺の顔を掴み、俺の顔をのぞき込んだ。
「それはのう、信用できんやつがおのれで自分は信用できる人間ですと行動で示すほかないんじゃ、分かるか?」
俺は顔を掴まれているにもかかわらず必死に頭を縦に振った。
「そうじゃろう、そうじゃろう、のう。」
そういうと幹部は、俺の顔をぺしぺしと叩き、持っていた拳銃を俺に渡した。
「このハジキには、あと二発分の空きがある。そのうちのどちらかに弾が込められとる。」
「自分で一発、引き金を引きないや。空撃ちなら自分の男としての株も上がるし、俺も自分は信用できる男じゃと認めたる、それに今回のことも不問にしちゃる。」
「弾が飛び出すならそれはそれで自分のケジメじゃと考えれば、パクられとる兄貴分にも格好がつくじゃろう。」
そういうと幹部はニタニタと笑いながら俺を見てきた。
その薄笑いを見ていた俺はだんだんと腹が立ってきた。散々罵倒され、殴られ、恫喝された痛みと屈辱が、みるみるうちに憎悪に変わっていくのを感じていた。
さらに、賭場の情報を警察に漏らしたのは、この幹部なのではないかという考えも浮かんできた。自分の足を引っ張りかねない屑な弟分を実害が出ないうちに警察へ突き出し、その下についた俺を見せしめにすることで、自分の力を組織の中で盤石なものとする計画に違いない。
追い詰められた俺は、何の根拠もなしにそうだと決めつけていた。
周りが囃し立てる中、俺は拳銃を手に取ってそうとは分からないように銃を弄びながら銃の正面を見た。シリンダーを正面から見ることで次に発射される弾の有無が分かるからだ。
弾は次に発射されるよう装填されていた。幹部の男は、俺を潜入捜査員であろうとなかろうと構わずに殺そうとしている。俺の考えが確信に変わった。
俺は決めた。
「伯父貴、心遣いはありがたいんじゃが、こがいなもんで自分のケジメはつけられはせんです。」
そういうやいなや、拳銃を足下に放り投げた。
俺は賭けに出た、これに勝たなければ俺は生き残れない。
「なんじゃあワレェ!ワレの命惜しさに適当ぬかしとるんとちゃうぞ!!」
部下の男から怒声が上がった。だが幹部の男はそれを手で制した。
「ほう、俺の案を袖にするっちゅうことは、どういうことか分かっとるんか。」
幹部の声に明らかに殺気がこもり始めた。俺はその言葉には答えずに、しゃべり続けた。
「三発にしてくださいや。」
「ああ?」
「一発とは言わず、ハジキに三発弾を込めてくださいや。そうしたら俺は続けて三発、自分の頭に向けて引き金引いたります。」
そういうやいなや、周囲がざわめいた。
ここが正念場だ。この幹部が場の雰囲気に飲まれて俺の言う通りにしてくれれば、勝ち目が見えてくる。俺はさらにたたみかけた。
「俺だって死にとうないですけぇ弾は三発ともハジキのレンコンの半分側に固めて入れておくんなさいや。」
「そうしてくだされば、喜んで引き金引いちゃります。」
俺は幹部と部下を交互に睨み付けながら、俺は出せる限りの大声でほとんど叫びながら話した。周りは俺の提案の異様さに驚きながらも、興味をそそられているようだった。幹部の男は、三発も拳銃に込めるリスクに気づいているようで、俺の案に乗るかどうか決めかねているようだった。
こうも男だの、ケジメだの、格好だのと建前を盾に無理を通そうとする男は、俺の提案を反故にして周りの組員達にいらぬ疑いや悪いイメージをもたれることを恐れる。例えそうならなかったとしても、こういうタイプは、勘定に入れるべきではない些細なリスクに考えを取られ、判断を誤るものだ。
俺の狙いは奴の思考の弱みだった。
あと一息だ。
「男がこないに頼んどるんです!伯父貴いいいいい!」
俺は腹の底から声を出し、自分を奮い立たせるように叫び、相手の目を見ながら言葉を発した。それにつられたのか、周りの連中も期待とも、困惑とも取れるような目で幹部の男を見た。
幹部の男は周りの目に気づき、動揺したようだった。動揺の余り、部下の方に目をやったが、部下も判断に困った様子で幹部の方を見ていた。
その動揺を見た俺は、奴の弱みを突くことにした。
「ケジメだの、格好をつけろだの、ごちゃごちゃ言うくせに人のケジメに華の一つも飾りつけられんのかい!ええ!?」
「人様に言う前に、自分の格好ぐらいつけなさいや!!!」
効果てきめんだった。自分の情けない姿の的を突かれた幹部の男は、みるみるうちに顔を真っ赤にし、周りの組員は幹部の男の言動と行動の不一致に疑いの目を向けていた。
その視線と恥をかかされた怒りも相まって、幹部の男は拳銃を拾い上げるや、それを振り回しながら叫んだ。
「おう!よくもまあ偉そうにほざけたもんじゃのう!俺を見損なうんじゃねえ!」
声こそ大きいが、気の抜けた啖呵だった。そして一呼吸置くと、また話し出した。
「ええじゃろう、おまんの言う通りにしたろうじゃないの。」
そういうと、いきり立ちながら拳銃のシリンダーを開き、弾を三発入れ、俺に見せてきた。弾はシリンダーに空いた六つの穴のうち、右半分に三発納められていた。
「どうじゃ、これで文句なかろうが!」
と吠え、シリンダーを再び回転させた後、拳銃に戻した。そして俺に顔を近づけ、目をむきながら言った。
「おう、お前の伯父貴にこないな口の利き方をしたんじゃ、半端なことしさらしてみい、それこそ半端ではすまさんけえのう。」
そう言うと俺に拳銃を渡してきた。俺は受け取ろうとしたが、幹部の男は強い力で拳銃を握り、離そうとしなかった。俺が思わず顔を見ると、凄まじい形相で俺をにらんできた。とことんまで俺を追い詰め、自身を侮辱したこの俺を叩き潰す意志をありありと感じさせる目だった。
俺の一挙一頭足を見ている、先ほどと同様にシリンダーを覗こうものなら何をされるか分かったものではない。もはやこれ以上のリスクは犯せなかった。


俺は拳銃をこめかみに当てた。スムーズに動かしたつもりだったが、どうしても震えが止まらない。こんな状態でこめかみまで銃を動かせたのは俺の怒りが手助けしたからだ。だが奴に対する怒りが、不思議と俺に冷静さをもたらしてくれた。
この一瞬で考えなくてはならないこと、それは今、俺が撃とうとしている弾は発射されるのか?ということだ。さっきの件といい、幹部の男はシリンダーの回転をどのタイミングで止めれば任意の場所に弾を配置できるように身体で覚えているに違いない。奴はおそらく何回もこの手のトリックを使い、相手を自分のペースに持ち込んで優位に立ってきたのだろう。
今回もそれを惜しみなく使っているはずだ。
奴はどのタイミングでシリンダーを止めたんだ?奴の性格なら・‥
「うおおおおおおお!」
俺は引き金を引いた。
弾は発射されなかった。全身から汗が噴き出し、身体が振るえ、歯が上下でぶつかりカタカタと乾いた音を立てた。
ひゅうひゅうと俺は息を漏らしながら幹部の男を見た。幹部の男は俺の方を食い入るように見ていた。奴は俺の行動を見逃さないように見ていた。
「あと二発じゃ。お前さんが自分で言うたんじゃろうが。」
突き放すように幹部の男は言った。
「ううううう」
正直、ここまで身体が震えると思っていなかった。俺がわずかばかり指に力を入れるだけで轟音とともに俺の全てが消えてなくなるのだと考えると恐ろしくて仕方がなかった。
気づけば周りは静まりかえっていた。その静寂の中で俺は頬を伝う生暖かい液体を感じた。
俺は涙を流していた。これがこらえきれないほどの恐怖からなのか、俺の頭がおかしくなって感覚が麻痺したからなのか、全く考えが及ばない。そして涙は止まらない。
「おら、さっさと次にいかんかい。」
幹部の男の冷たい声が聞こえてくる。
「うぇっううう」
俺は声にならない声をあげ、涙と鼻水がめちゃくちゃになった。
「はよせえ!」
幹部の男が一喝した。
俺は頭が破裂しそうな感覚を覚えながら、こめかみに銃口を当てた。
涙は依然として流れ続けた。この時。俺は自分の敗北を感じていた。ここまで生の感情をさらけ出し、みっともなく泣き叫んでいる。
俺は撃鉄を起こした。
だが、あともう少し指に力を加えようとした瞬間、涙で曇った俺の視界に幹部の男の顔が飛び込んできた。
あの男は俺が撃鉄を起こした瞬間、安堵したような顔を浮かべ視線を俺の銃の方にやった。
俺は銃口をこめかみから外し、銃口を幹部の男に向け、躊躇なく引き金を引き絞った。
落雷のような音と閃光が走り、幹部の男はもんどり打ってコンクリートも床に倒れた。
幹部の男は、茂みにはまった獣のような声をあげている。周囲は余りのことに声を失っている中、幹部の男の部下は叫び声を上げ、俺に飛びかかってきた。
部下の男に飛びかかられ、俺は床に押し倒されたが、そのまま部下のとこの腹に銃口を押しつけ、一発撃った。
血が天井まで吹きつき、硝煙の匂いと血のにおいがあたりに充満し始めた。
俺は部下の男を押しのけると、おびえている周りのチンピラ達に、銃を向けながら扉に向かった。
チンピラ達は、おびえながらも幹部の男と部下の男に駆け寄りながら、俺を威嚇する声をあげていた。俺は油断なく銃口を彼らに向けながら扉を後ろ手に開け、倉庫を飛び出し、一目散に走り出した。外は雨だった。十二月の刺すように冷たい雨を浴びながら、俺は泣きながら走った。後ろからチンピラ達の怒声が響いていたが、すぐに聞こえなくなった。走るうちになぜか笑いがこみ上げた。俺は走りながら泣き、笑った。
そのまま埠頭を走り抜け、俺は海に飛び込んだ。
冷たい水の中で手足を動かしながら、俺は子供の頃に見た映画を思い出していた。
俺はレミングのようにはならない。

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