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190805 TI合宿初日「私の履歴書」

21世紀ティーチャーズ・プログラムというものに参加している。主に先生を対象とした、能力開発、プロジェクト学習(ワークショップをつくる)、ネットワーキングなどを行っているように見えるプログラムだ。ぼくは、先生ではないが、このプログラムを通じて先生たちや学校教育により深く関わっていける伴走者になりたい、ということで申し込んでみたら、ティーチャーズ・イニシアティブ(TI)代表の宮地さんや事務局長の伊江さん、あときっと福島さんたちの厚意で参加できることになった。

このキックオフ合宿の初日、自分のバックグラウンドを振り返るワーク「私の履歴書」があり、ここで書いた内容が自分にとって興味深かったのでnoteに残しておくことにする。元々人に見せることを意識して書いていないので、もし気分を害する箇所があったらごめんなさい(コメントなりご一報なりどうぞ)。

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「私の履歴書」 フクタニアキヒロ

小さい頃から言葉を覚えるのが早く、周りの子たちより遅れて1歳半で歩き出す頃までに「僕、歩けへんねん。だって危ないやろ?」と、理由を説明していたというのだから、かなり利発な(というより理屈っぽい)子であったことは間違いない。同時に、周りが歩いているからといって、自分が歩かなければならないといった協調性は、この頃すでに持ち合わせていなかったようだ。

小学校に上がる前から高学年向けの児童文庫本を読み漁り、小学一年生の一学期の内に教室の本棚にあった物語は、『ロビンソン・クルーソー』も、『十五少年漂流記』も、『赤毛のアン』もすべて読み終えていた。ほかの子が野球をしていようとサッカーをしていようと、一人で文字を目で追い、見たことのない世界に思いを馳せることを楽しんでいた。

こんなことから書き始めたのは、教育という分野に関わるにあたって、自分自身の学習の体験をもう一度振り返っておきたいからだ。教育の中心は、教えることではなく学ぶことにある。

残念ながら、学校での授業はどんどん退屈なものになっていった。小学校で新しいことが学べないことに相当なショックを受けていたらしいと、のちに母親から聞いた。中学では、ほとんど机に突っ伏して寝ていた。毎日塾に通い、少人数の特進科で競争して夜中まで宿題に明け暮れていたのだから、半年前以上に習得した個所をカタツムリの速度で解説する学校の授業はつらかった。

逆に、進学校の高校では生まれて初めての落ちこぼれを体験。受験を控えた十八の秋に成績は底辺まで落ちた。この時に救いとなったのが予備校だった。さまざまな友だちができ、中にはおしゃれ女子もいた。試験はあったが、比較や競争の必要はあまりなかった。自分のペースで受験勉強に没頭できたおかげか周りの友だちのおかげか、大学には現役で入学したが、しかしそこも楽しい学びの場ではなく、サークル活動に明け暮れて留年。

大学五年生になったのを機に、休学して欧州を一人旅する。安宿を渡り歩きながら、十三か国を旅した。朝起きて、満足に読めやしない『Lonely Planet』を片手に街を歩いたり、次の街へ向かう電車に乗り込んだり。毎日代わり映えのない観光生活には違いないが、そこには自らの道筋を自ら決定できる自由という感覚があった。

ほとんど使ったことのなかった英語で、毎日道を尋ね、電車の切符を買い、レストランで食事を注文し、慣れ親しんだ日本とはまるで違う街や景色や人たちに圧倒され、宿で初対面の異邦人と何でもない話をする。当然うまく伝わらないことや聞き取れないことばかりだったが、実生活に密接につながる学習は楽しかった。

当時はまだネットカフェやネットニュースも今ほど普及していなかったから、ニュースは英語メディアから拾うしかなかった。長い電車移動、車窓の景色に飽きたら、今思えば読めるはずのない英文雑誌にマーカーで線を引きながら、何度も同じ記事を読み返した。留学経験はなかったが、こうして帰国して生まれて初めて受けたTOEICは800点を超えていた(当時は驚いた)。

今更、気づいたことがある。私にとっての学びの体験とは、いつもメインストリームの外側にあったのだ。それは、幸運なことでもあり、残念なことでもある。学校や集団生活に馴染めない子どもに、居場所があったことはこの上ない幸運だ。家庭環境や人との出会いに感謝するほかにない。

一方で、私と同様に学校に馴染めず、集団行動や前を向いて一斉に受ける授業に適応できずに、どれだけの可能性が失われていることか。学校という仕組みの中で認められるすべがなく、それが健全な自尊感情に対する大きなトラウマとなっている人たちがいる。

今の学校での学びが、私の知る二十年前のそれよりも、もっと子どもたち個性に添った、もっと好奇心と主体性を育むものであってほしい。そして、学ぶこと、学習というものが喜びに満ちたものであってほしい。教育に関わろうとする私の中には、そんな願いがある。

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(ここからは当日まとまらなくて後日追記)

現在取り組んでいる、教員向けの「学習する組織・学校」、あるいは「システム思考」のコンセプトやツールの普及の背景には、師匠のセンゲさんの学習観がある。

学びとは、自らにとって大切に思うことができるようになっていくプロセスであり、それは①願望によって起こり、②行動によって実現されるものであり、その学びは、③つながりや共同体の中で生まれる。これは、私自身が大切に感じている学びの体験に合致するものである。元来、人にとって学習とは根源的な欲求であり、楽しいものであり、失敗を厭わないものだ。

行動によって起きる学びとは、自分自身が無防備で、心地良くない場所へ踏み出すこと、よろめいて、転ぶことだ。大人になった私たちは、これを恐れるかもしれないが、転びながら歩き方を学ぶ赤ん坊を見れば、転ぶことは何も辛くないと気づくはずだ。成功も失敗も、ただ、何かができるようになっていくプロセスの副産物に過ぎない。学習する組織や学校、そしてチームをつくることとは、この学習を可能にする環境や器をつくることだ。

今の教育に起きている変化は、誰の目にも見えるほど多様で、劇的で、不可逆的なものだが、ポイントがひとつあるとすれば「教えること」から「学ぶこと」への焦点の変化だ。これまでずっと学んできた「学習する組織」の考え方や、その手法(ワークやツール)は、その辺りでいかようにでも役に立てるので、知ってることはフル活用し、知らないことは学んでいきたいと思っている。

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