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それぞれの正義

アメリカの大学に通っていた時
授業中、日本が第二次世界大戦でした事について悪いと思わないのかと聞かれた

小さな島で生まれ育った私が一瞬にして日本代表になった瞬間だった。

アメリカだって原爆落としたよね?って
それについてはどう思うの?って聞くのが精一杯だった。アメリカ人のその人は「あれは正義だった」と胸を張って言った。

私の知ってる正義ではない。

国が違えば考え方も違う。それを体験した日だった。

ラスベガスの自由の女神

今ロシアとウクライナの戦争についてたくさんのツイートを目にする。誰かを責めたり、心を痛めてたり、祈っていたり…

私たちが知り得る情報などひと握りで、それを持って判断するしかないのもわかっている。意見を言う事も大事なのもわかっている。

でもなぜそんな遠くで起きていることがこんなにたくさんの人の心を揺さぶっているんだろう。

マクロからマイクロへの考え方のシフト

私には大切な家族がいて、もし目の前でその人たちが傷つけられていたとして、私の手には武器があって、傷つけられている私の大事な人を国や法が守ってくれないのなら、私はそれでも平和的解決を選べるだろうか。正直その時どんな決断を下すのかわからない。

誰かが誰かを傷つけて、でもそれは仕方のなかった事だと、傷つけられて当然だと、そういう理不尽さを飲み込む事を放棄した時に、争いは起こるんじゃないのだろうか。

生きていると許せない人もいる。
でも遠くで起こっている戦争に対しては、そうならない方法があったのではないかと何故か言えてしまう。そこに違和感を少しでも感じるのなら立ち止まって考えてみて欲しい。

私は決して誰かを擁護しているわけではない。
私が言いたいのは、みんなそれぞれ立場があり、人には言わない経験があり、感情があり、信念があるという事。

だから、誰かを責めるのではなく、戦争が無くなって欲しいと思うその優しい気持ちを、どうかあなたの周りの人に渡して欲しい。

あなたが渡したその優しさが、その人にとって一生忘れられない物になるかもしれない。
その人がまた他の人に優しさを渡せるきっかけになるかもしれない。平和はそうやって広がっていくんだと思う。

なにか世界で起こっている事が心を揺さぶるのなら、それは自分の生活を振り返るチャンスだと私は思う。それは良くないと正義感を振りかざしても、誰かを責めても、何も変わらない。

その世界平和を願う気持ちをあなたの隣にいる人に渡して欲しい。感謝の気持ちでも笑顔でもチョコでもなんでもいい。それが世の中を変えるんだと私は信じている。

あなたへ

私の最初のnoteを最後まで読んでくれてありがとう。書かずにいられなかった私の思いを受け止めてくれてありがとう。読んでくれたあなたに私は今日救われています。

沖縄の夕陽


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