マルディグラのクイーンーシカゴー
2015年の2月、シカゴにいた。冬を過ごしたカナダのナイアガラから、ハーヴェストシーズンを迎えるニュージーランドに向かう道中。シカゴはアメリカを横断する鉄道Amtrackのターミナル駅で、私はここから3日間電車に揺られ、サンフランシスコから飛行機に乗る予定でいた。
当時のボーイフレンドがコネチカット州Norwalkの青年で、じゃあシカゴまで送るよ、となった。とはいえシカゴまでは車で15時間、電車かバスだと丸一日かかる(時間だけは有り余っている貧乏な旅人に、飛行機の選択肢はなかった)。「ちょっと送る」距離ではないし、NY近郊とは文化も相当に違うらしい。折角だからとシカゴで一泊して解散する計画を立てた。
偶然にもその日は、Mardi Grasマルディグラの火曜日で、出発前にそれを知ったBFが嬉しそうに報告してきた。銀座にその名を冠した名店があるので、辛うじて言葉に聞き覚えがあったけれど、私には何のことかよくわからない。(なお、銀座のマルディグラにはその後帰国して初めて伺ったけれど、和知シェフのお肉もお店の雰囲気も素晴らしく感動の連続だった)
「お祭りだよ!ドラッグ・クイーンがステージで踊って、ビーズの首飾りを投げるんだよ!」
「・・・?」
「街中パーティーだよ、楽しみだなぁ」
「(とりあえず飲むなら楽しそうだ)」
当時、スマホも持っておらず、私は特にマルディグラについての予備知識がないままシカゴに到着した。日が傾き始めた夕方。安宿に荷物を置いた私たちは、さっそく街に出ることにした。
この辺りをバーホッピング(日本でいうところの「はしご」)するのがいいらしい、と連れられてきた通りには、まださほどの人出はなかった。日本なら例えば隅田川の花火は夜だけれど、昼から出店が出て、気の早い人は明るいうちから飲み始める。ここは全然パーティーじゃないじゃん、いや遅い時間に盛り上がるんだよのんびり待とう、と言い合いながら、かろうじて開いている(そして安全そうな)酒場を見つけて、おぼつかない気持ちでビールを飲み始める。
マルディグラの起源については後述するが、アメリカでマルディグラといえば、ルイジアナ州ニューオーリンズで有名なイベント。ブラジルのリオに並び称されるカーニバルなのだそうだ。近年アメリカの他の都市でも開催されるようになったのだという。シカゴのマルディグラはニューオーリンズほど規模が大きくはないけれど、ドラッグクイーンのショーやライブミュージックが楽しめることで知られている。
すっかり日が暮れて外に出ると、ようやく通りに人が集まり始めていた。ちょっと派手なおしゃれをしている人が多い。男は革ジャン、女性はミニスカートに黒のロングブーツなど。ファーをまとう人もいる。若者はグループが多い。親世代よりも上であろう年配のカップルも結構いる。
今夜、特別なショーが行われるというバーに入った。エントランスで、じゃらじゃらと安っぽい大粒ビーズの首飾りを渡された。イベントの名前が書かれたプラスチックのタグが、ペンダントよろしく付いている。入館証ということで首にかける。頭の片隅でかっこ悪いなぁと思ってもいるのだけど、ともう少し酔っぱらっているから、楽しい気持ちが勝る。高揚した周りの空気につられて奥へと急ぐ。
お店の奥はステージになっていた。その日何本目かの瓶ビールをカウンターで受け取り、薄暗い客席の真ん中ほどで飲みながら待つ。やがてステージが七色の光に照らされて、恰幅のいいクイーンが音楽に乗って踊り始めた。ギリギリまで短いスカートに網タイツをまとったむちむちの脚。真っ赤な口紅。ムーディーな曲に合わせてゆっくり妖艶に動いてみたり、Bon Joviに合わせて激しいダンスをしたかと思えば、腕に掛けたぎらぎらと輝くビーズネックレスを客席に放り投げ始めた。観客は、一緒に踊る人、気にせず連れ合いと談笑する人、投げられたネックレスを必死で集める人など、皆思い思いに楽しんでいる。
ショーが終わると、また次の踊り子が登場して、盛りに盛った放漫なバディを見せつける。次々に入れ替わる踊り子、お世辞にもいいとは言えない音響。ピンク、黄色、緑、青・・・原色が暗いステージを照らし、ドラッグクイーンたちがまとうカラフルなビーズに反射する。ぎらぎらとぶしつけな光が暑そうで、時に気だるく、時にコミカルに振舞う彼女たちのお化粧が崩れてしまうのではないかと、ぼんやりとした頭で私は場違いに心配する。
後で知ったことだけれど、マルディグラの起源はカトリックの祭祀なのだそう。春のイースターの祝祭の前の40日間を、カトリック教徒たちは粗食で過ごす(ことになっている)。その清貧な期間に入る前に、思う存分肉の食べ納めをしようというのがこの「謝肉祭」の趣旨らしい。時代とともに、飲めや食えや踊れやのイベントとして、リオのカーニバルやニューオーリンズのマルディグラ(もともとはフランス人が持ち込んだものらしい)の形になった。近年ではシドニーのマルディグラも、LGBTQのお祭りとして名高い。
目の前に飛んできた3本目のビーズネックレスを戦利品に、くらくらするようなショーの会場を出た。2月の寒い空気の中を少し歩いて、今度は日ごろから生バンドの演奏が楽しめるという酒場に入った。音楽に詳しくない私が知っている曲はかからなかったけれど、ブルースのリズムが心地よかった。すでに日付は変わるころだったのだと思う。人々は身体を寄せ合って揺れていた。頭を空っぽにして、自分自身を音とリズムと人の流れにゆだねて一緒に揺れるのは、とても気持ちのいい時間だった。
翌日からはまた一人、温かい食べ物もインターネットもない電車で二晩を過ごす。さらに飛行機に乗って飛び立てば、また終わりの見えない旅が始まる。ままならぬ人生への一抹の不安も、新たな出会いへの期待も、旅に出るとき特有の解放感が入り混じった不安定な心持ちも、音に身を任せたこのひと時だけはすっかり忘れてしまった。
今はもう、イースターまでの時間を清貧に過ごす人は多くないという。それでも明日の朝にはまた始まるリアルな人生をひととき忘れることが、人にはきっと必要なのだ。
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