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祖父の背中

8月27日 早朝 祖父が旅立ちました。
83歳でした。

今年の5月頃に、祖父が脂腺がんの診断を受けました。
以前からずっと目の違和感を訴えていたようで、医師からは「結膜炎だろう」と言われて薬を出されていたようでした。ところが一向に治る気配もなく精密検査をした結果、この珍しい病名の診断が下りました。

もちろん前例も少なく、確立された治療法も少ないということで、我々はリスクのある手術をするかそのまま余命を生きるかの究極の選択を迫られました。
この時点で宣告されていた余命は、1年半でした。
ただでさえリスクの大きい手術に加え、転移した箇所の摘出も一気にする必要があったようで、まず祖父の命が最後まで持たないだろうというのが医師の見解でした。
また祖父は過去10年に3つのがんを患っており、その中に肺がんがあったので、呼吸器系への心配もあったんだと思います。

最初は祖父本人も手術をする方向で話が進んでたんですが、
やっぱり嫌だなぁという風に変わって、
「上手くいくか分からない手術をするより、残された期間に沢山思い出を作ろう」という方向になりました。
ここは本人の意思を尊重すべきだということで一致しました。

そして6月になり、4年ぶりに祖父に会えました。
コロナウイルスに数年間帰省を邪魔され、これまで思うように会えていませんでした。
昔から祖父の手を握ったら、あほみたいな馬鹿力(?)で握り返してくるんですね。子供の時は私も必死で握り返してました。懐かしい。
6月にあった時もこのような握り合いがあって、ちゃんと覚えててくれたんだなと感じました。

7月にも祖父と会わせてもらえることになり、老人ホームに赴きました。
「何か欲しいものはある?」と僕らが聞くと、
「女がいいな~」って言いだしました。一同大爆笑ですよねw
そういう冗談好きなところも変わってなくて、我々の方が安心させられることになりました。笑

「また会いに来るからね」「また温泉に行けるように元気になろうね」と言って、その日は別れました。

祖父とはよく麻雀をしたり、大好きな日本史の話ばかりしていたものです。
温泉に入っても2人で麻雀の話ばっかりしてました。
誰かが止めに入らないと、永遠に麻雀してるような間柄でした。
勝てたことはほぼないですが、祖父から教えてもらったことは今でも忠実に守って麻雀してるつもりです。
先述したように冗談ばかり言うので、どこまで本当のことを言っていたかは分かりませんがw

8月に入り、自動車学校と自宅の往復ばかり続けていましたが、24日と25日はライブに行ってました。
その帰りの電車で「祖父の容体がおかしい」という連絡を受け、帰ってから次の日に会いに行こうということになりました。
しかし、遅かった。会いに行こうとした日の早朝。息を引き取りました。

余命宣告より全然早いじゃないかと頭が真っ白になりました。
「祖父のあの生命力だから、きっと大丈夫だよ」という見通しが甘かった。
帰りの電車を途中で降りて進路を変えてでも祖父の元に向かえばよかった。
人間の体に絶対なんて保証はどこにも無いんです。

更に、台風の影響でスケジュールが詰め詰めになり、亡くなったその日にお通夜、翌日には葬儀でお別れでした。
ほんとに安らかな顔だった。全く苦しそうな顔ではなかった。
髭も剃っていただいて化粧もしていただいて、病院や施設の方々もいい人だったようで、本当に良かった。

葬儀は「ありがとう」「お疲れ様」の言葉で溢れていたと思う。
3つもがんを乗り越えて、2度の脳梗塞から立ち直った祖父は本当に強すぎる。そしていつもかっこよかった。発する言葉1つ1つに説得力があった。
変な冗談もあって面白い人でもあった。憧れである。

じいちゃんの孫で本当によかった。

最近、大人達がよく言う「今を楽しめ」の意味が分かるようになった。
過去はどう足掻いたって変わらない。だったら今できることをやるしかない。好きなことは楽しんで、学ぶべきことにも全力で取り組んだ結果が、未来につながるんだろう。

これからも、じいちゃんの背中を追いながら、自分なりの正解や目標をみつけて、いつか胸を張って会いたい。

まだ心が落ち着いてなくて文面が拙いですが、とりあえず今思ってることを書いた次第であります。

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