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人の行動の95%は無意識に支配されている。

これは、エステーの消臭力などのCMを手掛けた鹿毛さんの書籍に書かれている言葉ですが、意識的な行動であるはずの5%だって怪しいなと思いますよね。ということで意識と行動について今日は書いていきます。

人の行動の背景にはなんらかの意識や感情があるはずですが、自分自身が思っているものと実際のところに乖離があることが多い。あらゆるところにアンコンシャス・バイアスは満ちていて、自分についてでさえ「こうであるべき」また「自分はこういう人間である」という決めつけに支配されます。

このアンコンシャス・バイアスの支配から逃れる一つの方法としては自分の感覚に委ねず、事実、ファクトに目を向けることです。いわゆる大脳的アプローチ。いわゆるって書いたけど、そんな言葉は検索しても出てきませんでした。造語です。

ただこのアプローチって考えてから行動するわけで時間的に余裕がないとできないし、初動が遅れるとPCにスクもはらんでいます。それに事実、ファクトに目を向けたとしても、それをどう解釈するのか、解釈者の持っている情報や知識、能力に委ねられます。

そこで小脳的アプローチが有用じゃないか、と思うわけです。これまた調べても出てこない言葉ですけど。

例えば、スポーツであれば正しいフォーム、繰り返し繰り返しトレーニングを重ね、体で覚えるということが行われています。無意識の状態でも正しい筋肉の動きができれば、結果として正しいアウトプットが生まれるはずという理屈ですかね。それにより本番では無意識、というか考えなくても正しい行動がとれるようになるであろう、と。

これって仕事や業務の種類によっては同じように有効ですね。とりわけ思考を挟む余地の少ない、繰り返しの作業であれば。タイピングなんかがいい例です。どこにどのキーがあるかを探しながら書いていますが、体が覚えてしまえば意識する前に打てるわけで。ちなみに今、長年使い慣れていたThinkpadから自宅用の別のWindowsのPCになったせいでめっちゃタイピングミスしてますし、次の会社ではMacになるので一時的に作業が遅くなりそうです。

一方、身体を動かすよりも頭を動かすことの比重が大きい仕事、またもっぱら思考中心の仕事においてはなかなか繰り返しやることで体で覚えるというアプローチは難しい気もします。

そこで大事なのがフレームワークを用いることじゃないかと思うわけです。

前職のアセスメントにおいても、何年か前までは、何か仕事でよく使うフレームワークはありますか?という質問をしてましたが、3CとかPESTとかそういうtheフレームワークに限らず、フレームワーク的な存在、日本だとむしろ「型」という言葉を使った方がわかりやすいかもしれませんね。

いくつか例をあげると、例えばリクルートの「お前はどうしたいんだ?」というやつ。あれ、言われなれてないと、うざいとは思うんですけど、日常的に繰り返し繰り返し問われることで思考の癖として自分の意思(意志でもいいけど志までいかなくてもいいので意思とします)を意識するようになります。そして、それが癖づいた結果としての「圧倒的当事者意識」というリクルートの文化が形成されていると捉えています。

他にもトヨタのなぜを5回繰り返すのも、P&Gの三つにまとめて考えるのも機能としては同様の効果が得られますね。

トヨタに関しては、ある大学教授がトヨタの強みはカイゼンの文化にあるとして、それが単に習慣として定着しているだけでなく、改善できる個所を見つけないと不安に思うまでの心理的な状態にあると言っている話を聞いたことがありますが、よく使う言葉やそれをもとにした問いかけにより「考える型」が浸透し、自然と望ましい行動を導き出すことができる好例なんですかね。

いつも繰り返し言っていますが、人は感覚で判断することも多いですが、考えるときは言葉で考える生き物です。とすると、使う言葉をきちんと選ぶことで、自分がしたい思考の癖ができ、無意識であっても正しい思考ができるはずなんです。

どんな言葉を自分に投げかけ、どんなルールで自分の思考の癖を作るのか。

人の行動は無意識に支配されているとして、意識的な部分はもちろん無意識ですら日常において意識的にコントロールする。いざというときに向けて普段からどう過ごすのかがとても大事だと思うわけです。

そんな感じで今日は意識と行動についての散文でした。

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