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イニシエーションピアス

左耳にアンテナヘリックスを開けた。
耳の軟骨の縁を内側から外側へ、アンテナのように刺さるピアスだ。

病院に行くと、ファーストピアスは持参しなければならないと言われた。
なんと。舐めるようにHPを見たが書いていなかったぞ…
しかし、ないと開けてもらえないらしいので、近くのピアス屋に駆け込んだ。書いてもらったメモをもとに8mmのピアスを探していると、店員さんが話しかけてくれた。
「ピアス開けるの?どれどれー8mmねー…これがヘリックス用のファーストピアスよ」
あっという間にシルバーのピアスが決定した。
「どこに開けるの?アンテナ?しっかり位置とかを写真で伝えた方がいいわよ!あら綺麗な耳の形。いってらっしゃい」
終始、この口調なのがなんだか落ち着く。いそいそとピアスを持って、病院へ戻った。無事受け付けてもらう。

20分ほど待機している間に、女の子が来て、受付をしていた。
その子は院内で用意しているピアスで開けてもらえそうだった。なんの差なのか…アンテナだからなのか…
処置室に案内されると、ベッドの上に横になった。大仰だと思ったが、その方が開けやすいんだろう。
看護師が軽く消毒をしたら、颯爽と医師が来て、麻酔を打つ。流れるような作業だ。さすが、毎日何十人もの耳に穴を開けてきているだけある。

麻酔針が痛いのは、親知らずを抜いた時の体験から知っている(大人になったもんだ)。その痛み自体も、想定の範囲内だ。
夏頃、足の巻き爪を深爪した際に肉芽ができて歩けなくなった時にやった窒素処置の方が数倍痛い。
余談だが、窒素は、激痛だ。人間足の親指を失うと走れなくなるというが、実際窒素で肉芽を焼いたら、歩けないどころか全身の体力をそこの治癒に使ってしまいへとへとで動けなかった。

麻酔を打ってしまったら、医師とおしゃべりをしている間に開いてしまっていた。結構血が止まらなかったらしいが、全く痛みはない。
3ヶ月はつけっぱなしにしておいてね、ということだった。
帰りの電車の窓に映る私の耳に、新しいピアスがついているのを確認してはニヤニヤする。麻酔が切れたころジンジンと痛みが出てくるが、我慢するとすこしだけ自分が強くなったような気持ちになる。イニシエーションだ。

音楽の仕事を辞めることにした。
踏み切らなきゃならなかったから、私は穴を開けた。


最初にいたバンドが解散し、次のバンドがメジャーを諦めた後、しばらく音楽から離れる時間があった。コロナの期間は全く舞台に触れることをしなかった。目標を失って、一時期適応障害のような症状がでた。このまま生きる意味を失い続けるのは、辛かった。
ある日昔のバンドメンバーが死んだ。悲しくはなかった。もう長い間会っていなかったし、そんなに仲がいいわけでもなかった。
でも、昔、彼がくれたメッセージを見返して、少し寂しくはなった。
「君は生きているのか」「バンドのスタッフをしてくれていたこと感謝している」「また会いにきてくれや」
コロナ特例措置により、病院に勤めていた私は第三者の葬式に行けなかった。

やりたい時に、やりたいことをする。会える時に、会う。
じゃないと後悔する。
そう思ったが吉日、昔世話になったバンドに、声をかけた。その人が長く生きていてくれることを、ただ祈るためだけに、スタッフを志願した。

そのバンドは、私が音楽から離れている間に大きくなって、私の小さな手では支えにならないくらい人気になっていた。
スタッフに入るたび、私ではなんの役にも立たないことを痛感した。
向こうからのオファーはほとんどない。基本的には、私が営業をかけていくだけだ。だから、現場に行くと、実力不足と疎外感を感じた。

最初はそれでも良かった。でも、回を経るごとに、きつくなってきた。
だんだん当初の目的は薄れ、自分の居場所がないことを不満に感じ始めてしまった。
私はただ自分のエゴのために、自分が寂しい思いをしたくないがためにバンドを続けようとしていることに気づいた。

だから、私から始めた物語を、私で終わらせることにした。
特に辞めると言ったわけではない。私が静かに離れていくだけだ。たぶん向こうはこのまま忘れるだろう。
もう、会わなくても大丈夫。あのバンドは、愛してくれる人がいっぱいいるから。


今もまだ寝返りを打つたびに新しいピアスの穴がジンジンする。
甘えて連絡を取りそうになる自分を、その痛みで何度も押さえつける。
さようならを言える人間関係は健全だと、つくづく思う。

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