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スーパーシャカイ人の生き方

社会で生きていくのは、結構大変だ。
何が大変って、全てが大変だ。生活用品を選別するのも大変だし、食事を整えるのも大変だし、予定を立てるのも、仕事をするのも、家庭を維持するも、自由を得るのも、全てが大変だ。

中でも一番大変なのが、自分の気持ちを守ることだろう。

あちらを立てればこちらが立たず、という言葉がある。
デッドロック状態だ。二律背反ともいえる。二つの意思が相反しており、膠着する状況である。例えば……

「オールマイティでありたい」

「専門家になりたい」

仕事に対するパッションは同じくらいに感じるが、大体この二つの価値観は噛み合わない。
私は前者の生き方を主軸として生きてきた。

私は専門学校を卒業した後、バンドのスタッフをしていた。
その頃は、金のことは全く考えなかった。お前のような素人を雇ってやっているだけでもありがたいと思え、という感じだ。
私にとって、音楽で飯を食うのは、夢だった。高望みなこともスキル不足なのもわかっているけれど、時には虚勢を張っていかねばならない。できないことをできると言わなければ置いていかれてしまう。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」
便利な言葉に惑わされて、営業をかけ、車中泊をし、飲めない酒を飲んで24時間あらゆる仕事をした。

ある日「お前は何になりたいんだ」と問われた。
私は自身のオールマイティ加減を、割と誇りに思っていた。何をやらせても80点ぐらいは取れるという自負があった。音響、事務作業、営業、相談窓口、夜通し起きていられる体力。ある意味、総合力が私の売りだった。それでバンドは体裁を保っていたと言っても過言ではない。
でも、そんなんではなくて、具体的に目指す肩書きがないと、若者として可愛げがないようなのだ。
おいおい、まるで私が夢も目標もない人間みたいじゃないか。
逆に聞くが、音響しかできない人間が、事務作業しかできない人間が、この世界で生きていけるのか?
夢を語ったら、あんた、叶えてくれるのか?
でも、そのときは、自分のありたい姿を、うまく言葉にできなかった。

数年後、私は社会組織に属した。バンド活動が低迷したからだ。
働いたらその分ちゃんと給料が入る。もちろん税金は引かれるが、社会保険に入っており、定時に帰ることができる。
私の総合力を評価してもらい、たくさんの仕事を経験させてもらえる。評価された分、業務形態も変わっていく。給料明細が、私の自己肯定感を支えてくれる。
私は、金を稼ぐことが幸せなのだ。そのことにはたと気づいた。
正確には、金によって自分がどれくらい仕事を評価されているかわかるのがよかった。金を払いたくなるような価値のある人間になりたいのだ。私が何かになりたいわけではない。自分を評価してくれる人に十全なアンサーを用意できる人間になりたいだけだ。そしてその金で美味い飯を食うのが最高だ。

おそらく、多くの人は、会社に入ったら「会社の意向を理解せよ」「会社の利益を考えよ」「チームで仕事をせよ」などと言われながら、苦手な仕事や理想と違う仕事をするだろう。
一方で、説教くさい情熱的な上司から、「自分の理想をもて」だの「他人の意見に流されるなんて馬鹿だ」だのとありがたい言葉をいただく。
何を選ぶかは人それぞれだが、会社の意見に従うオールマイティが正しいとか、上司の情熱的な専門気質が正しいとかはない。
なので、勉強になります、精進します、などと言ってお茶を濁し、私の心の中のデンジはいつだって
「会社の期待に応えることで自己肯定感が上がって毎日おいしいご飯が食べられるなら、なんでもしまーす!」
といいながら鼻をほじっている。(チェンソーマン好きなんですよね)

自分の気持ちを大切にするのは、結構難しいものである。
だから、自分の芯だけは確認しておく。
どうしても譲れない赤ちゃんみたいな強欲を、恥ずかしがらずに受け入れることが大事だ。その赤ちゃんを守りつつ、スーパーシャカイ人を演じ切る。
家に帰ったら今日褒められたことを数えながら、美味い飯を食い、あったかい風呂に入る。
最高じゃないすか。

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