できたらとっくにやってる

最近ずっと仕事がつらかった
大きな報告会があって、その準備に追われてた
資料を作ってはやり直しての繰り返し
言い方を変えると否定され続ける日々だった

ダメだしされるのは資料に対して
もっといえば発表内容そのものに対して
なにしろはじめて参加する報告会だからイメージがわかなくて、何を報告するかもわかない
特に自分に強い意志があるわけでもない
だからいつまでも内容がふわふわしてると言われ続けた
自分でもわかってた
そもそもわたしはふわふわしてる
思考も常に現実逃避してあいまいなところにとどまるのが好き
それでも最適解を探そうとはした
どうしたいか、がない以上、どうすべきか、を指針にするしかない
だけど何もかもがはじめてのこと、経験もないのでどうすべきかもわからない
感覚的にもイメージできない
そのなかで何かを作り上げるのは言わば拷問のようだった

そしてなんとなく感じていた
最終的にこれは自分の意見は通らないだろうと
意見というのはないにしろ、私の選んだものは気に入られないだろうなと
そもそもビジョンがまったくみえないのに何かを作るなんて不可能だ
自分でそう思ってたので私の言葉にはなんの説得力もなく、わたしも強く何かを主張することがてきなかった

そのためやる気が起きるわけもなく
作る資料には熱が入るわけもなく
そんなものが受け入れられるわけもなく
日々やり直しが続く
毎日なんとなく作り、ダメだしされる
その繰り返しに心もだいぶダメージを受ける
わかっていてもぶつけられる言葉は痛かった

そのうちこんなことを言われる
もっとちゃんと自分の意見を言いなさい
なんでそんなに何も言わないの?
そんなに嫌われることが怖いの?

そう言われたとき、わたしは返す言葉を失った

わたしは嫌われたくないのかな?と自問自答した

上司は無意識にひとをおいつめる話し方をする
どこか母親に似ていると感じるようになった
何を言っても無駄な過去の経験を思い出す
母親のようだと思えば思うほどに言葉がでなくなった

これはひとによってはパワハラなのでは?
そんなことを思いながら、それでも私は返す言葉を見つけられなかった
他の人からも心配された
心理的安全性は保たれてる?
そんな質問を受けた事もあった
私が何も言わないから
何も言い返さずに、はいとしかいわないから
もっと思ってることを言うようにと言われた

正論なのかもしれない
ただ私はそれができないのだ
理由なんて知らない
でも思ってることを言うことって、できるひとには当たり前でも、それができないひとがいることを、きっと多くの人は知らないのだろうな
だから不審がられるし
面倒がられるし
こっちが悪いみたいになる

まるで弱者と強者のようだ
なんでも言えるひとが強くて
何も言えないひとは立場が弱い
それなら言えばいいじゃんって思うんだろうけど、それが出来たら最初から言ってる

そんなことを思いつつ、辛い日々をたえた
だんだん時間もなくなり、ピリピリ具合が日々増していった
私は思っていた
どうせ最後は上司が決めるのだろうと
いまは私の自主性を重んじていようと最終的に責任をとらなきゃいけないのは上司だし、それなら自分の気に入らないものを出すわけない
そしてだいたい予想通りにはなった

そもそも私じゃなきゃこんなことにならないのかもだけど
ここまで無意識に言葉で追い詰め続けたら
心を病んでも仕方なくないか?
本人に自覚も悪気もなく
むしろわたしのためを思っての助言の数々
でも言葉は胸に突き刺さり
毎日痛くてたまらない
それでも耐えられたのは
期間限定だったのと
本気で悪気がないことを知っていたから
こういうひとなのだと知っていたから
それを受け入れようと思ったからなのだけど

こうして私が受けいれ続ける限り
逆に相手は自分が正しいことを疑わず
私は常に我慢し続ける側なのだろうな
何しろ自覚してないのだし
それを黙って受け入れてるのはこっちの責任なのだし
なんて不平等な世界なんだろう

それが嫌なら戦えということかもしれないけど
受け入れなければいいと言うことなんだけど
それができたら最初からこうなってないし
できないからこうなってるわけで

じゃあできないのはあなたの責任だから
こんなふうに耐え続けるのも自業自得でしょと
それはその通りなんだろう

なんでと聞かれてもわからない
なんとなくとしかいえない
原因が分かれば解決できるのかもしれないけど
それはもう生まれつきの性質なのではとしかいえないわけで

だから他人を責めても仕方ない
かといって自分を責めても仕方ない
こういうものだと受け入れるのがせいぜいで
まあ受け入れたふりかもしれないけれど

報告会は無事に終わり
今は平常に戻っている
穏やかな日々