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雑居ビルを眺めながら 4

 平松洋子さんの『味なメニュー』(新潮社) を読んでいたら、「ニュー新橋ビル」なるビルに遭遇した。「新橋駅前の楽園で」というエッセイの中、エントランスからはじまり、喫茶店、マッサージ店、定食屋とビルの中を探訪、さらに外観と歴史まで込みでこのビルの魅力と楽園ぶりが余すところなく味わうことが出来る。通称「おやじビル」なるこのビル、庶民の匂いというか昭和の匂いがして、文章を読んでいるだけで妙に落ち着いてしまう。新橋は何度か訪れているが、行ったことはない。ああどうして行かなかったのか、と後悔してしまうくらいだ。こんな風に本で出会うビルというのも存在して、行ったこともないのに店の雰囲気や出てくる定食の匂いまで味わった気になれるのだから不思議である。実際に行ったら、自分がこう感じるかはわからない。著者の思考に導かれるようにして、知らないビルに案内される。なんて豊かなことだろう。

 この「ニュー新橋ビル」、戦後の闇市から生まれたというが、同じような匂いを感じる場所が仙台にもある。いろは横丁。こちらも戦後のバラック小屋から出発している。横丁だから、当然ビルではないし、垂直に延びる空間と水平に延びる空間とでは大きな隔たりがあるのは確かだが、庶民の匂いというのはなかなか消えないものだ。

 居酒屋から喫茶店、イタリアン、雑貨屋、洋服屋までいろいろあるのだが、やはり横丁という水平に開けた場所のせいか個性さまざま。昔からある店もあれば、ちょっと変わったものを売る店もある。そのせいか老舗がずっと構えているという印象は薄い。好きで通っていた定食屋が、久しぶりに訪れたらもうなくなっていたということも少なくない。そんな中で、印象に残っている店がある。もうずいぶん前に閉店してしまったが、あれは雑貨屋と呼んでよいのだろうか、外国の切手や封筒、デパートや老舗のパン屋の紙袋やショッピングバッグを扱っていた店がある。ヨーロッパの香りが強いお店で、一歩入れば華やかな、まるで旅行をしている気分になれた。北欧の食器なども扱っていた気がするが、圧倒的に紙ものの存在が強く、こんなお店も成立するのだなあと感心した記憶がある。散々物色して、気になったチェコスロバキアの切手と近代オリンピック90周年を記念して作られたと思われる封筒を購入した。今でもコレクションとして手元にある。

 こんなお店が存在しても、なぜか庶民の匂いがするのは、横丁という場のせいだろう。ビルもまたそれぞれ特有の空気を持っている。歴史があればあるほど、その中にどんなお店があるのか、外観からはわからない内側を覗いてみたくなる。とはいえ、老朽化や新開発の波には抗えず、なくなってしまうビルは多い。いろは横丁の周辺だって、昔は丸善や松竹ビルがあったが、すっかり様相を変え、いくつかの横丁だけが昭和の匂いを残している。魅力的なビルに出会えるのもいつかは本の中だけになってしまうのかもしれない。

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