見出し画像

雑居ビルを眺めながら 2

雑居ビルについておそらくは膨大な研究がなされているのかと思ったら、必ずしもそうではないらしい。建築史の中でそれはあまり重要視されていないのか、単に自分の知識不足なのか、これという資料が見つけられない。建築と呼ぶには相応しくないのかもしれないそのビルは、今日も都市の真ん中に在り続け、人々の往来を眺めている。

美しいフォルムを建築の最たるものと捉えるならば、雑居ビルはその対極にある。猥雑なにおい。アーケードからふと道を逸れて小さな路地を辿ったかと思えば、そこはもう雑居ビルの中である。一階はラーメン屋、床屋などが並び、さして歩かない距離にエレベーターは現れる。定員は5名。薄暗い灯り。足元の絨毯のオレンジがくすんでいる。ボタンを押そうにもどの階に何の店があるのか。わずかな看板を頼りに、丸い数字を指で押す。

学生の時などは、連れられるがまま、エレベーターに乗るのも二手に分かれたりして気楽なものだったが、この年になってひとりで乗るというのは案外ドキドキしてしまうものなのだ。ボタンを間違って、下りたら倉庫階?なんてこともある。都市空間を垂直に上っていく、外さえ見えない小さなハコは、果たして本当に目的地に辿り着くのかというありふれた不安を人々に与える格好の装置だ。

それにしても、雑居ビルを遠くから眺めていると、そこにエレベーターがあることを忘れてしまう。常に人々を運び続ける小さなハコは、娯楽と期待と一抹の不安を載せて、都市空間をひたすら上下する。ネオンは空に解き放たれるが、閉鎖された小さなハコから人々は何処に解き放たれるか。わからないままドアをくぐる。下りた先の小さな窓から見える街の灯り。とにかく夜は延々と続くらしいのだ。


追記:しかし、こんな景色もまるごと記憶の中に葬られる日が来るのかもしれないなどと思うことが多くなってしまった。昨今の状況では、雑居ビルを眺めることさえ減っている。部屋の中、画面越しに見える景色をひたすら眺めながら、何を思い、何を綴るのか。窓を開けてもビルは遠く、空だけが開けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?