見出し画像

応援キャリアコンサルタントと名乗りたい理由~自己紹介①(CC以前)

「カウンセリングなんて自分の意思のない弱い人が受けるものだ」と長らく考えていた私が、まさかキャリアコンサルタント(以下CC)資格をとり、それが生きがいになるなんて。

教師をあきらめて知ったこと

教員になることしか考えていなかった幼少~大学時代。
高校時代は、教員免許が取れる大学ならどこでもいいと、お嬢様学校でさほど勉強せずに、お嬢様学校なのに朝から晩まで部活に燃える日々。
お嬢様たちがお嬢様短大に進む中、そこでは教員免許が取れん!と部活引退後だけ勉強して何とか大阪のマンモス私立四大に合格。
大学1年生から教員採用の勉強を始め、朝9時から夜9時まで大学にこもった。もちろんほどほどに遊び、ほどほどに部活もし、ほどほどにバイトもし、ほどほどに恋愛もし。。。
訂正しよう、わりと遊んでいた。
なので、まさか落ちると思っていなかった教員採用試験に落ちるとは。
その時期大学4年の秋。浪人する気まんまんだったが、とある先輩の
「教師になって何を教えるの?」の一言に衝撃を受ける。
いつもなら「社会だよ。歴史だよ」と答えていたが、このときはふと
「あれ、教師として子供に何を教えたいの?」
となぜか哲学者のように深く考えてしまい、その考えを引きずるようになる。

一旦社会に出るべきではなかろうかという考えが頭をよぎり、教員試験は35歳まで受けられることを確認し、大学職員となる。
今となっては「ここが社会か?」であるが、教師になることしか考えていなかった私にとってはここも社会だった。

大学職員時代
~教師よりおもしろい仕事を見つけてしまった

「秘書」に配属。ここは割愛。昼休みに鍋を作った思い出しかない。
仕事としてのやりがいは見つけることができなかった。しかしお仕えした理事長、学長は心から尊敬できる人で、特に学長の影響を大きく受けた。この人は仕事を楽しんでやる人だった。
当時日本で一番若い30代の学長で、あらゆることの中に楽しさを見つける天才だった。なので大学構内バーベキュー大会や、日韓ワールドカップパブリックビューイングin大学とか、あらゆる行事にも関わらせていただいた。
仕事って楽しむものなんだと、新卒でこの人に学べたことはとても大きかった。

次の配属「広報」は、打って変わって非常に厳しい部署だった、
しかしそれは仕事を楽しむための厳しさであり、よく怒られたが、よく学んだと思う。
・大学を売るとはどういうことか
・働く人々の意識を変えることも広報の役割だ
とか、だいぶ昔ながら佐藤可士和さんみたいなことをずっと言っている先輩だった。広報の基本だからと
・書く技術
・撮る技術
・編集する技術
を学ぶスクールに大学予算で通わされた。否、通わせていただいた。
これまた大学予算で毎朝五大紙を読まされた、否、読ませていただいた。
これもとても勉強になった。

「学生課」配属。法人本部は非常に勉強になったが、ずっと学生支援をやりたかった。言い続けていたら「学生課」に配属。
学生のためにどうすればいいかを日々考え、考えた分だけ仕事が生まれるという部署はとてもやりがいを感じた。
学生にかかわるあらゆること全てを経験させていただき、なんならオーストラリア語学留学の引率を2年連続で命じられた。また大学予算で。
わりと男性優位の職場で、今まで女性が引率することはなかったらしい。
行きたいという女性もいなかったらしい。なんかあったら危ないしという考えもある中、
「こいつ大丈夫じゃね?危険が逃げていくんじゃね?」
と会議で名前が上がったとのちに聞かされる。・・・名誉なことだ。

しばらく学生支援をしながら、アスリート学生の支援を本気でやりたくなる。
この学生たちは大学名を胸に掲げ、壮大な広報をしてくれている存在なのになぜ支援が手厚くないんだという疑問がわいてきたからだ。
大学がお金に困った学生に支援金貸与制度をもうけていたが、毎回バレー部やらバスケ部やら空手道部が利用していた。
練習が厳しすぎてアルバイトをする余裕もなく、もちろん勉強する時間も)元気も(頭も)ない。就活もできない。
スポーツ推薦でちょっとした作文を書けてたらスポーツ能力だけで入学させておいて、卒業後には責任をとらないのかという思いもわいてきた。
お金をあげることはできないがその他のことでバックアップできないか?といろいろな人に考えを聞いてもらったり、提案をしたり。その結果、スポーツ学生の支援や広報を行う専門部署ができてしまい、その部署になんなくおさまる。

スポーツ学生支援に携わったのは3年。ただただ突っ走った3年間だった。
今までこの大学で10年間培ってきたスキルや知識がこの部署のためにいかされたと感じていた。
毎週土日はどこかの部活の試合に応援に行っていた。
スポーツ写真を撮影し、記事にし、広報し、ファンを増やし、プロにいくことが決まった学生のマネージャーもする。
記者会見もしきった。
しかしプロや実業団に行ける学生は一握りなので、その他ほとんどの学生の一向に上がらない成績を見たり、就職活動を世話したり。
その経験から、学生の就職支援に興味がわき、のちにキャリコンを目指すようになる。

土日に出勤している分、平日の休みは大学のお偉方のおじさま方とゴルフに行く。月3で。
ゴルフクラブを持って帰るのが面倒くさく、ゴルフ場からゴルフ場へクロネコヤマトに運んでもらう。ツアープロか!?
ここでおじさま方と語らい、ほとんどが何の実りもない話ではあったが、
時々大学の経営や上層部の考えを知ることができるいい機会だった。
すごい3年間だった。

この頃
「支援とはまさしく応援だ」
と感じるようになる。世の中には様々な支援の形があるだろうが、
「そばで応援する」これに勝る支援はないのではないだろうかと。

余談だが、応援が大切だと大学にチアリーディング部を創設し、初代監督にもおさまった。。。
人数が少ないときは我先にとチア服を着て応援し、サッカー部からブーイングをくらう。

ひどい子たちだ。


(自己紹介②に続く・・・)


あき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?