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24歳。半生を振り返る。vol.2

今日で24歳になりました。
昨日のnoteの続きになります。

再び現れた天狗と大学受験

高校では難関大学を目指すクラスにいたので、大きな出来事として受験は外せませんでした。高1の頃から受験を意識させるようなものが多く、周りも勉強を真面目にやってきた人が多かった印象でした。
しかし、僕は入学当初は浮かれていて自習室で夜遅くまで残って勉強しているクラスメイトもいる中、友達としゃべったり中庭で遊んだりカラオケに行ったりしていました。
そんな中で迎えた最初の模試。当然自分より賢くて勉強している奴らもいるからせいぜい成績は真ん中くらいかなぁと思っていました。
蓋を開けてみると、結果はクラストップ。

「あれ?俺もしかして天才なんじゃね?」

その後も定期テストや模試ではだいたい上から3番以内には入っていました。
当時、サッカーは高校入学と同時にやめていたし周りも部活にほとんど入っていない状態でしたので、比べられるものと言えば「頭の良さ」と「ノリの良さ」くらいでした。そりゃあ中学時代にへし折られた天狗の鼻は勢いを取り戻してみるみる伸びていきました。

そんなこんなで高3になり、受験が近づいてきて周りもピリピリしてくるような時期に模試がありました。
当時の僕は高1の時から京都大学志望で一度も変えたことはなく、京大以外に行くことは視野に入れていませんでした。とはいえ、これまでの模試の成績はあまりよくなかったので浪人も覚悟していました。
そのときの模試は周りがD,E判定ばかりの中、自分はC判定が出ていたのでとても喜んでいました。あまり覚えていませんが、天狗になっていた自分は自慢して周りを煽っていたようです。今思うとC判定ごときで自慢するなんて恥ずかしすぎる。。
そして、おそらくそのときの煽りが原因で僕は若干クラスで浮いてしまうことになります。僕にももクロを勧めてくれた友だちに至ってはその後卒業まで一切口をきいてくれなくなりました。でも、その当時は何で無視され続けるのか本当に意味が分かりませんでした。

受験失敗と浪人

迎えた受験本番では、センター試験で大コケをかまし、そのあとの二次試験でも挽回することは出来ずに不合格でした。
先ほども書いた通り京大以外は視野に入れてなかったので他の大学はまったく受けておらず、あっけなく浪人が決まりました。

まあ父も兄も浪人をしていて周りにも浪人する友だちはたくさんいたのでまだ天狗の鼻は折れていませんでしたが、予備校のクラス分けで状況は変わりました。
クラス分けテストの結果、僕は一番下のクラスになったのです。
その時、完全に鼻は折れました。
おそらく不合格になった時よりもショックでした。

そこからしばらくは勉強にも力が入らず高校時代の友達と夜中に遊んだりもしていました。
まあ親から怒られたりもしましたが、それでも勉強しようとはなかなか思えませんでした。
そんなある日まったく口をきいてくれなかった友だちから無視していた理由を聞き、関係を修復しました。そのときになってやっと自分の愚かさに気づきました。
そして、
「横井が浪人してなかったら一生話してなかったかもしれない」
と言われて、今自分が浪人しているのは必然だったんだなと思いました。それと同時に、友達って本当に大事だなって思いました。

その後は心を入れ替えて勉強に励みながら、予備校で友達もでき、適度に遊んでいましたが、一年の時を経て大学に合格することができました。

迷い悩み進む大学時代

大学の話はついこないだという感じなのでひとつひとつ話すととてつもない量になりそうなのでざっくりと書きます。(詳しくは別のnoteに書くつもり)

大学では主に2つのコミュニティに所属していました。
1つはサッカーサークルでもう1つは学生団体でした。
僕は大学4年間、最終的にはどちらのコミュニティでもきちんと活動して関係を保っていました。
もちろんずっと良好な関係だったわけではなくどちらか一方が疎かになることはありました。それでも最後はうまくやることができた理由は今までの経験から、

自分のことを犠牲にしても周りの人を笑顔にする

ということを大事にしていたからだと思います。
小学生の頃から考えても自分はすぐに調子に乗るし、そうなると周りのことが見えなくなる。だからこそすごく意識しながら過ごしていました。

それでも意識しすぎると、
「本当に自分は何がしたいのか?」
ということが分からなくなる瞬間は何度もあったし、
「何かと言い訳をして自分に妥協する」
ということも何度もありました。

他にもいろいろ思い悩むことは山ほどありましたが、悩んでいても時は進んでいきます。
そこで導き出した僕の答えはこれです。

どうせやるなら楽しくやる

自分で選んだ道は自分の力で正解にする

間違った選択をするかもしれない
怠けてしまうかもしれない
後悔することもあるかもしれない
でも過去は変えることはできないから今をいかに楽しむこれからをいかによりよくしていくかが大事だと強く思っています。

最後に

なんかすごく最後は当たり前すぎるし胡散臭くなってしまいましたが、本当に大事だと思って過ごしています。

こうして改めて言語化してみると、自分の生き方とか考え方とか価値観とかの整理が何となくできた気がします。それでもうまく表現できないところだったりもっといろいろ書きたいなあと思うことがあったりでまだまだだなあと感じています。
就活の自己分析のときでもここまで言語化することはなかったので、就活の時にこれを書いていたらもう少しマシなESになっていたかもなあと少し思います(笑)

僕の人生を少し知れただけで何の学びにもなってないと思いますが、ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

また次回のnoteでお会いしましょう。

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