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12 松方財政と激化事件

本時の問い「景気の変化は自由民権運動にどのような影響を与えたか。」

第12回目の授業は松方財政です。1870年代後半に激しいインフレーションが発生し政府の財政は悪化します。1881年から財政再建に取り組んだのが大蔵卿の松方正義でした。今日の話は経済が中心ですが、経済の変化が民権運動に与えた影響についても考えます。民権運動の第3期「衰退期」についても扱います。これが本時の授業の大枠です。

本時の問いは「景気の変化は自由民権運動にどのような影響を与えたか。」でした。

激しいインフレーションの原因は何か

資料集のグラフを見ると1877年から1881年にかけて米価指数がおよそ2倍に上昇しています。なぜ物価は上昇したのでしょう。教科書本文の記述を参考にしてこのことについて説明をしてもらいました。

大量の不換紙幣の発行がインフレを誘発した

政府は殖産興業政策や西南戦争の戦費にあてる財源に苦しみ不換紙幣を大量発行します。これが紙幣の価値を下げて物価上昇を招きました。松方は財政の立て直しのため、この問題に対処する事になりますが、そもそも物価の上昇はなぜ政府の財政を悪化させるのでしょう?そのことについて地租改正のときに学んだことを思い出してもらいました。大丈夫ですか?

政府に入る租税収入の大部分は地租です。地租は定額金納が特徴でした。毎年同じ金額の税収なのに、物価の上昇によって支出が増大します。これでは政府はやりたいことが制限されてしまいます。だからといってまた紙幣を大量に発行したら、いっそう物価は上昇するでしょう。だから紙幣の価値を戻し、物価を下げる必要があったのです。

松方財政では何をしたのか

実際の財政政策を見ていきます。1.徹底的に財政を緊縮して歳出を減らします。(ただし軍事費については削りません)2.酒造税やたばこ税などの増税によって歳入を増やします。これによって財政は黒字となります。ん?たくさん税をとって、使うお金を節約をして、お金を残すことが政府の目的ですか?違いますよね。ねらいは紙幣の価値を戻し物価を下げること。では、歳入を増やして歳出を減らしたことで余ったお金はどうしたのでしょう?

政府は不換紙幣を処分してしまうことで、市中に出回る紙幣の量を減らします。紙幣を大量に発行して物価が上昇したのだから、紙幣を減らせば、紙幣の価値は元に戻り物価は下落します。松方財政は物価を下落させる政策だったので、デフレ政策という場合もあります。

また、これ以降、紙幣の発行の権限を一つの機関にだけ認めることで、紙幣を好き勝手に発行できないようにします。唯一の発券銀行として、1882年に日本銀行が設立されます。日本銀行は、1885年には銀兌換の銀行券を発行し銀本位制を確立します。

物価は下落に転じた

紙幣の流通量を減らし物価は下落に転じます。政府にとってはねらい通り大成功と言えますが、それは誰にとってもハッピーな事だったのでしょうか。ここで地租改正の授業をまた思い出してみます。

物価の下落は農産物を売って現金収入を得る農家にとっては打撃となります。物価の下落で現金収入は減っても、地租は定額のため、生活にゆとりがなくなります。物価が上昇し生活にゆとりがあったころは、農業経営を拡大するため借金をして事業を拡大する農家もいました。それが農産物価格の下落で収入が減り、借金を返せなくなり、担保にしていた土地を失うものも現われました。自作農が土地を失って小作農へ転落してしまったのです。

経済が変化した松方財政の時期を民権運動と重ねて考える

1881年に松方が大蔵卿に就任したのは、前の大蔵卿の大隈重信が明治十四年の政変で政府から追放されたからです。この直前の民権運動の動きを思い出してみると、地主や豪農が民権運動に参加し「豪農民権」と呼ばれる民権運動の発展期でした。それはインフレにより農産物価格が上昇し、生活にゆとりがあったために、民権運動への関心が高まった時期だったのです。物価が下落に転じると、民権運動にはどのような影響があるでしょうか。この後、民権運動の衰退期と呼ばれる時期になっていく理由がわかりますね。この時期の民権運動、そして農村でおきた激化事件について授業では取り上げました。

今日はここまで!

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