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19世紀フランスのバルビゾン派の画家 コロー

本日は、19世紀のフランスの画家であるジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot、1796年7月16日 - 1875年2月22日)の誕生日です。但し、小学館の日本大百科全書には、誕生日が「7月17日」である旨記載されております。

コローは、バルビゾン派の七星(コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニー)の一人であり、次世代の印象派との橋渡しをした画家として知られています。

なお、ドービニーにつきましては、次の記事をご参照ください。


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下記「目次」の「ギャラリー」の項目以下において、コローのいくつかの作品を鑑賞することができます。

コロー

小学館の日本大百科全書(ニッポニカ)によれば、コローについて、次のように記載されています。

フランスの画家。7月17日パリに生まれる。商人の道を歩ませようという両親の意に反して絵画を志し、最初若い風景画家アシル・ミシャロンに学び、ついで新古典主義者ビクトール・ベルタンに学ぶ。ベルタンを通じてプーサンなどにも学ぶが、ベルタンは同時に、自然を研究することを教える。1825~28年の間ローマに遊学。当時ローマに集まっていた外人画家たちの、アカデミズムを脱却して戸外の自然の真実を求めようとする態度に同調し、ローマやカンパニアの野を題材として、明るい地中海の光、明確な形態感の描出を求めた数多くの習作を残している。

パリに近いビル・ダブレー

帰国後も自然の真実を求めて、フランスの各地を旅行し、スイス、イギリスにも旅行し、イタリアにも1834、43年の2回旅している。とくに、パリに近いビル・ダブレーに1年のうちある期間滞在して、『シャルトル大聖堂』(1830・ルーブル美術館)などの周辺の風景を描く。バルビゾンでも描いているが、オランダ派の影響の強い他の画家たちに対して、コローはイタリア派の明晰(めいせき)さを守っている。また一般にバルビゾン派が自然から受け止める観念的な情緒を表出しようとしたのに対して、彼はより視覚的な真実を求める。しかし、イル・ド・フランス地方などの柔らかな光や大気、緑の諧調(かいちょう)などが、イタリア的な視覚の明るさとは異なる微妙な雰囲気の描出をしだいにコローに啓発する。「コローの銀灰色」とよばれる微妙な輝きを帯びた緑の諧調などがそれである。


彼は1827年よりサロンに定期的に出品している。しかしここでは伝統的な審査に対する配慮のために歴史画、聖書画などが主体であり、少なくとも35年までは成功していない。しかし、風景のなかにニンフたちを描く作品はしだいに注目を集め、55年のパリ万国博覧会の際の展示で一挙に名声は高まる『モルトフォンテーヌの思い出』(1864・ルーブル)、『マントの橋』(1868~70・ルーブル)は、自然の柔らかな光の震えを再現するとともに、静かな詩想をさえ宿す円熟期の作品である。
一方、コローは人物表現も行い、とりわけ裸婦や女性肖像に、『青衣の婦人』(1874・ルーブル)、『真珠の首飾りの夫人』(1868~70ころ・ルーブル)などの傑作を残し、1875年6月22日パリに没した。ロボー編集の全作品目録には約2500点の作品が集録されているが、さらにそれに数百点の追加が予想される。[中山公男]

作風と影響

また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、作風と影響について、次のように記載されています。

コローの風景画は、神話や歴史物語の背景としての風景ではなく、イタリアやフランス各地のありふれた風景を描いたものが多い。特に1回目のイタリア滞在の際に制作した風景習作には、その光の明るさ、大胆なタッチなどに近代性を見せるものが多い。春から夏に戸外で制作を開始し、それを秋から冬にかけてアトリエで仕上げるのがコローの風景画制作の基本であった。後半生には、画面全体が銀灰色の靄に包まれたような、独特の色調の風景画を描いた。こうした風景画は、明確な主題のある「歴史画」とも、現実の風景をそのまま再現した風景画とも異なるもので、現実の風景の写生を土台にしつつ、想像上の人物を配した叙情的風景画である。コローは、こうした風景画のいくつかに『思い出』(souvenir)というタイトルを与えている。
人物画は、親戚、友人など親しい人々の肖像画と、モデルに民族衣装などを着せて描いた空想的人物像に分かれる。著名人の肖像画はほとんど残していない。
コローの作品は、モダニズムを先取りしたものとして、後世の美術家に多大な影響を与えた。コローの影響を受けた画家としては、印象派・ポスト印象派のピサロ、モネ、セザンヌ、フォーヴィスムのマティス、ドラン、キュビスムのピカソ、ブラック、グリスなどが挙げられる。ピサロは1855年のパリ万国博覧会でコローの作品を見ており、ピカソは何点かのコロー作品を収集していた。1909年にサロン・ドートンヌで開かれたコローの人物画の特別展示はピカソらに影響を与えたことが指摘されている。ヨーロッパ以外では日本でもコローは早くから紹介され、浅井忠ら影響を受けた画家が多い。

なお、上記コローの影響を受けた画家として挙げられた、印象派・ポスト印象派の中の一人である「ピサロ」につきましては、次の記事をご参照ください。

ギャラリー

モルトフォンテーヌの思い出 1864 ルーヴル美術館蔵

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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、この絵について、次のように記載されています。

なお、以下の絵画について、説明文がある場合の説明文は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用しております。

コローの空想的風景画の代表作。ヤドリギの実や花を摘もうとしている3人の人物を描く。1864年のサロンに出品され、ナポレオン3世が購入し、ルーヴルの所蔵となった。斜めに傾いた樹木のモチーフは他の作品にもしばしば見られる。樹木が舞台の幕のように使われる構図法にはオペラ座の舞台美術の影響が指摘されている。


真珠の女(1868-70年頃)(ルーヴル美術館)

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コローが没するまでアトリエに置いていた作品。モデルはロマン派の画家テオドール・シャセリオーのモデルも務めたとされるベルト・ゴルトシュミットという人物。まとっている衣装はイタリア中部のアルバーノ地方の民族衣装で、コローが弟子の画家でローマにいたエドゥアール・ブランドンに依頼して調達したものである。両手の組み方には『モナ・リザ』との類似が指摘される。『真珠の女』と通称されているが、額に影を落としている真珠のようなものは、木の葉を綴った冠の一部である。


青い服の婦人(1874年)(ルーヴル美術館)

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最晩年の作品で、コローの死後、1900年のパリ万国博覧会で初めて公開された。モデルは、コローの他の絵でもモデルを務めているエマ・ドビニーと推定されている。


ナポリの浜の思い出(国立西洋美術館)

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ヴィル=ダヴレーの池

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A Woman Reading, 1869/1870, Metropolitan Museum of Art

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La Trinité-des-Monts, seen from the Villa Medici, 1825–1828, oil on canvas. Paris: Musée du Louvre

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The Bridge at Narni, 1826, oil on paper. Paris: Musée du Louvre. 

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A product of one of the artist's youthful sojourns to Italy, and in Kenneth Clark's words "as free as the most vigorous Constable".



View of the Forest of Fontainebleau (1830)

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Venise, La Piazzetta, 1835

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Saint Sebastian Succoured by the Holy Women, between 1851 and 1873, oil on canvas, The Walters Art Museum

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Ville d'Avray, ca. 1867, oil on canvas. Washington, D.C.: National Gallery of Art.

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Bornova, İzmir, 1873

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The Little Bird Nesters (1873–1874) detail

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Monk Reading Book, 1850–1855

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View from the Farnese Gardens. 1826, The Phillips Collection

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Hagar in the Wilderness. 1835, Metropolitan Museum of Art

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Portrait of Mariette Gambay (“La Songerie de Mariette”). 1869–1870, Pushkin Museum

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Stormy Weather, Pas de Calais. c. 1870, Pushkin Museum

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Silenus. 1838, Minneapolis Institute of Art

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Sibylle, circa 1870, Metropolitan Museum of Art

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La Cathédrale de Chartres (1830), Paris, musée du Louvre.

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Vue de Florence depuis le jardin de Boboli (vers 1835-1840), Paris, musée du Louvre.

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Tivoli, les jardins de la Villa d'Este (1843), Paris, musée du Louvre.

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La Rochelle, entrée du port (1851), Paris, collection Georges Renand.

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Femme avec des marguerites (vers 1870), Budapest, musée des beaux-arts.

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Souvenir de Coubron (1872), Budapest, musée des beaux-arts.

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Pont et moulin près de Mantes (vers 1860-1865), Munich, Neue Pinakothek.

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