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【不妊治療】第4章【顕微授精に至るまで<1>】新しい夜・・【後編】

新しい夜・・・【後編】

平成8年11月28日

今日は、Mクリニックへ2度目の通院

1時に予約していたので、30分前に待合室に入った。すでに、3人の人が待っていた。1時に、名前が呼ばれ、中待合室という診察室の手前の部屋に4人入った。順番がまわってきて診察室へ・・・内診を受けた。

内診の結果、体外授精を受ける分にはさほど影響は無いが≪左側の卵巣の位置が悪い≫という事だった。それは、以前T病院で≪造影検査≫を受けた時にも言われたが、たいして気にもかけてなかった。
しかし、M院長は『左側からの排卵は難しい。内膜症になっている。それと子宮がかなり後屈ぎみである』と言う事を強くおっしゃった。
よって、顕微授精をする時は『右側の卵巣だけから採卵します』という事だった。

今まで、盲腸の傷は右だから、排卵障害があるとすれば、右側だとばかり思っていた。
だから、右側が正常で、左は機能していないときいてびっくりした。

採卵したあと、精子を顕微鏡下、細い注射針を使って直接卵子に注入し、授精してもその受精卵は多産を避ける為最高3つまでしか子宮に戻さないという事も説明して下さった。次の通院は12月中旬・・・血液検査である。そして来年早々には、顕微授精をしてみようという事になった。

ようやく実感が出てきた。


平成8年12月18日

3度目の通院・・・今日は、血液検査を受ける為に行ったので、30分ほどで終わった。
次回の通院は今月の28日。排卵時のホルモンの状態を検査すると言うことだった。この検査をパスすれば、1月の末頃「顕微授精」が可能だと思う。ようやく、やっとここまで・・・そんな感じだった。

今日、主人はT病院の泌尿器科へ通院(3ヶ月に1度の検査)だったので、私もMクリニックを出た後すぐT病院へ向かった。ちょうど、待合室で待っていた主人に会えたので、タイミング良く、2人でMA医師の話が聞けた。

検査結果は相変わらずだったけど(下がってる?!くらいだった)、もうさほど落ちこみもしない。MA医師の顔を見れば、状態は分かるぐらいになったし、こっちも、『あらら!ダメねェ~』と笑えるくらいになっていた。まるで、世間話でもするかの様に・・・。

MA医師に、「顕微授精が来年早々に出来そう!」と、告げると「あのMクリニックは成績が良いから大丈夫!・・・顕微授精の成功率は精子の要因はほとんど無く、卵子の要因(年齢)が大きいのですよ。」と教えて下さった。成功率は、35歳を過ぎると下降線をたどるそうだ。「まだ29歳なら、十分おつりが来るよ」と言って下さった。本人の実年齢というより、卵子の年齢が大切とも言ってたけど・・・。

それにしても、2年前、初めて精液検査を受けその結果を知らされたあの日を思うと、ウソの様に笑って、明るくMA医師と話せている自分達に驚いた。「精子の数・・いっこうに増えもせず、減りもせず・・・変わりませんねェ」と私達が言うと「すみませんねぇ~」と・・・でもそれに対して笑って「そんな!先生のせいじゃないんですから!」って言える自分達が、まだいっぱい希望を持っているんだなって・・・思えた。

でも、本当に多い・・・Mクリニックだけじゃ無いけど『不妊』と言うそれぞれのリスクや悩みを抱えて訪れる人・・・通院・検査・治療を繰り返している女性が、なんと多いことか。

今日も、Mクリニックの待合室で待っているとき、こんな2人の患者さんがいた。

彼女達の話を聞いていると(狭い待合室、いやでも話は聞こえるの)どうも、二人とも人工授精を同じ時期に受けた人達のようで、今日はその結果がわかる日だった。

二人とも、まだ生理も無く、妊娠に期待していて、クリニックでの検査結果を待てずに、市販の妊娠判定薬で、事前に自ら調べたという。

ひとりの人は『うっすら陽性のサインが出た』と言い、もう一人の人は『はっきり陽性のサインが出た』という事だった。
診察を待っている間、この2人の患者さんはお互いの事を話し『同じ同じ、私もそうだったの~』と、お互い同調して盛りあがっていた。

・・・そのうち、≪うっすらサイン≫だった人が気分は妊婦って言う感じで、検査を受けに行った。もうひとりの≪はっきりサイン≫だった人は、二人目が欲しくて治療している様子で、一人目は結婚後すぐに出来たのに、二人目がなかなか出来ない、という事だった。≪うっすらサイン≫の人は、年齢も少し上だった様子で・・・。

そうこうしているうちに、≪はっきりサインの人≫も検査に行かれた。
≪うっすらサイン≫の人が戻ってきた・・・≪はっきりサイン≫の人も戻ってきて・・・結果は・・・≪はっきりサイン≫の人は『陽性』=妊娠していた。でも・・・≪うっすらサイン≫の人は、ダメだった
とてもショックを受けている感じで・・・≪はっきりサイン≫の人が慰めて励ましていたけどもうそれは≪さわらぬ神・・≫でしょう・・・。

『気分は妊婦』って感じで、希望を持って通院して来たのに、帰りはツライ・・空っぽなのに重たい気持ちを持って帰らなきゃならないなんて。

私も、過去にAIHをしたりして、そんな気持ちを抱えた事がある。でも、もうあんな思いをするのはいやだ・・・。なんとしても一回で成功させたい。

私達がこの『不妊という難題』にぶち当たった時、思った。

ゴールなど見えない。他にどんな方法があるの?いったいどうすればこのつらさから逃れられるの?と・・・本当にこの2年・・・顕微授精という治療法に突き当たるまでは、自分達に突き付けられた問題の答えが見つけられなかった。何度も迷った、何度も自問自答を繰り返した。子供を持たない人生を何度選ぼうとしたか知れない。
『子供を、ほんとに欲しいのか?本当にちゃんと育てて行けるのか?ただ単に挫折から抜け出したいだけじゃないのか?』

確かにこれは、私達にとっても、今現在の医学にとっても、医者にとっても、最後の手段。『もうどんな方法も残っていません。』と、言う一歩手前の最後のチャンス・・・だからこそここへ来た。今『子供が欲しい』と、心から思う。私達には子供が必要だと思うから。

私達に神様がまだまだチャンスを残してくれているうちはこれも試練だと思って、受けてたたなきゃ。
人工的に子供を作る事が、神様に背くことなら、こんなチャンスを残しておいてくれるはずが無い。チャンスがあるうちは、まだ希望があるということなのだ。やれるだけやって・・・諦めるのはそれからだって遅くない


次回・・・第4章 顕微授精に至るまで<2>
レースの折り返し地点に立つ 
をお届けします。


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