見出し画像

今ならみんなに伝わると思ったこと。生きる。

あまりこれを書くことが良いことなのかとても迷った。書いては下書きに保存してを繰り返してきた内容だ。
でもそろそろ書いておかないといけない時期だと思った。今ならみんなの関心を最大限に引きつけられると思ったからだ。そしてもしかしたらこれを書くことによって誰かが誰かの命を救えるかもしれないと思ったからだ。

最近人の死を大きく受け止めることが多い。それは私だけでは無い。世間的に見て「なぜ」と思う理由で人の死を受け止める事件が多くなっているのだ。
今までなら「あ、この人死んじゃったんだ」で終わっていたかもしれない。でもそうなれない自分がいる。なぜなら自分もその選択肢を選んでしまう時があるかもしれないから。大切な人たちがその選択肢を選んでしまう時があるかもしれないから。逆に誰でもその選択肢を選ばざるを得ないくらい誰かを追い詰めてしまうかもしれないからだ。

「本当に辛い時、病院に行けるような世の中になって欲しい」と言う人がいる。
確かにその通りだ。病院に行ければ解決することがあるかもしれない。だけど行けない理由だってあるんだ。風邪や怪我なら病院に行けば根本的処置があり、目に見えて治る過程を踏むことができる。
しかし心の病や傷だったらどうだろうか。まず自分の心が何かに蝕まれていると言うことに対して受け入れることが簡単にできるだろうか。少なくとも私はできない。何かしらの理由をつける。忙しさや物理的要因を用意する。そんな人が病院に行けるかと言われたらそうでも無いのだ。
心の病や傷は目に見えない。医者もその人にこれまで何があったかはその人の言葉、周囲の言葉、そして現状の様子でしか判断できないと思う。周囲の人が気づくかと言ったらそう言うわけでは無いと思う。24時間365日その人のことを見ているわけでは無いからだ。

心が蝕まれてしまった人は必ず誰かに一度は手を差し伸べる。「実は今こう言うことが起きててしんどいんだよね・・・」みたいなことをまず話す。自分一人で抱えきれなくなった時だ。もう爆発寸前、いや爆発しているときかもしれない。あなたはそんな相談をされたらなんて返しますか?こう返したことありませんか。

「あー、わかる、私もそんな経験ある。」

本当に辛い人がその言葉をもらったらなんて思うかまで考えたことありますか。
「あ、そっか、みんな経験して乗り越えていることなんだ、私のこと大げさかもしれない、我慢して乗り越えないと」って思うと思う。私はそう思った。
でも本当はそんな言葉が欲しいわけでない。相談することさえ実はハードルなのだ。だってまず最初に自分が追い込まれていることを自分で認めると言うハードルを乗り越えているのだから。その上で相談をしているのだから。
そんな言葉もらったら今まで超えてきたハードル、全て失格だ。スタート地点へ戻る。

なんでもそうだと思う。「あー、わかる、私もそんな経験ある」で終わらせていいのは笑い話だけだ。
「あー、わかる、私もそんな経験ある、でもそれはこうやって乗り越えたから!」という手段を教えて欲しいのだ。
もっと言えば「何かあったらすぐ言って、いつでも助けるから、いつでも支えるから」って言葉が欲しいのだ。

そういう相談をされたときまっすぐその相談に乗ることができる人は少ないと思う。誰しも何かしらの悩みがある。だから自分の悩みすら解決できていないのに、人の悩みまで聞いてあげたりする余裕はないのだ。だからそう返しがちなのだと思う。ストレスフルな社会だから仕方ないのかもしれない。でも近くにいて、この人になら話せると思って話しているのだ。

だけど、尚更、仕方ないで片付けてはいけないことなのだ。実際それで多くのファンがいる人だって命を自ら絶っている。側から見たら華やかでファンという支援者がいても、追い込まれてしまう。いかに近くに支援者がいることが大切なのかということだ。

これは心の話だけではない。日常的な話もだ。例えば仕事で「これわからないんですよね・・・」と部下に相談されたとき「あーわかんないよねこれ、私も経験ある」で済ませますか?「なんでそんなこともわかんないの?」と返しますか。きっと「これはこうやってやるんだよ」って方法を教えますよね。それだけの話なんです。

でもわかんないかもしれない。あなたにはそんな経験がなく、その解決方法がわからないかもしれない。それでも「何かあったらすぐ言って、いつでも支えるから」って言葉だけでいいのです。魔法の言葉だと思う。

話を少し戻しますが、「本当に辛い時、病院に行けるような世の中になって欲しい」という言葉が叶い、病院に行って前を向くための一歩を踏み出す人もたくさんいる日が来たとする。今も踏み出している人はたくさんいる。だけどその人のことを「傷物扱い」してしまう人もいるのが事実。
二度と苦しい思いをさせないように特別扱いをしているのかもしれないけれど、それが腫れ物を扱うようになっていないかということはものすごく大切なポイントである。
本人にとって特別扱いが本当に必要なのかということだ。きっとそれはほとんどの人が望まないと思う。ただただ当たり前の、普通の日常を取り戻したいだけなのだ。特別扱いしたらそれは当たり前の、普通の日常ではない。

だけどどこまで気にすればいいのかというのもわからない線引きであるのも事実。多分それは本人も周囲もわからない。医者もきっと一般的には〜というところを提案すると思う。
それは相談すればいいと思う。無理って決めつけないで、本人と相談すればいいと思う。
そして風邪や怪我と同じだ。傷物扱いはそもそも絶対にしちゃいけない。インフルエンザの時に仕事に来られたら文句言うかもしれないが、治った人に文句言う人はいないのと同じだ。骨折した人を心配するのと同じだ。

私が言いたかったことはこれだけです。SNSの誹謗中傷やめろ!って声高々に言ってくれる人は沢山いるのに、傷ついた人に対してどうするかと言うことを言っている人はほとんどいなかった(全くいない訳ではなかったけれど)。

みんなの心が平和になりますように。みんなの毎日が明るく、希望に満ち溢れたものになりますように。一人じゃないよ。私も1人じゃなかったし。


1つの記事を書くのにとっても時間を要しております。 お気持ち程度サポートいただけるとこれからも頑張って執筆することをお約束します。