ごめん、アマビエ

 昨年11月末に新型コロナウィルスに感染、12月上旬には回復し、その後後遺症もなく、普通に日常生活を送っている。基本的に感染したことはわざわざ言うことでもないけれど、隠すことでもないと思っていたので、友人や必要のある人には伝えた。私は何も変わってない。けれど、私をとりまくものは変わるんだな。       

 気にしすぎなところもあるのはわかってる。でも、気になった言葉を挙げてみる。

「今はもう誰がかかってもおかしくないから」。この言葉は、感染したと判明したころに数人の方から言われた。なぐさめ、励ましなんだろうが、ちょっとおもしろかった。そこには、暗に「以前はある特定の人がかかるもの」だったという前提があるではないか。おそらく百合子の「夜の街」効果だろう。それまで多くに人にとって、新型コロナは、「夜の街」で働く人、遊ぶ人が感染するものだった。それが「誰がかかってもおかしくない」になった……。これ、よく考えるとこわいな。私も含めて。

「あまり人に言わない方がいいよ。私は気にしないけど」。感染して回復したと伝えた人に言われた。なぜ、と考えてみた。もう人にうつす心配もない。でも「人に言わないほうがいい」とその人は言う。それは、「感染した人への何らかの感情」が働くと、その発言をした人は推測(または経験)しているからだろう。それはおそらく「けがれ」のようなものなのではないか、と思ってる。うつす、うつさない、の医学的な問題なのではないのだ。「かかった人」というレッテル=けがれ、だと今思っている。あるいは、「かかるような人」なのだ。では、「かかるような~~な人」には何が入るか。うっかり、だらしない、よく外飲みする……そんなところだろうか。

「私は医療関係者に迷惑かけないように気を付けよう」。これを言われたとき、「……すみませんね、私はご迷惑かけましたよ」と思ってしまった。その人は、まったくまじめにそう考えているのだし、正しい。しかし、その正しさは裏返せば、感染した人を「迷惑をかけた人」としている。

 明らかな「差別」も受けた。3月に、ある県にある宿泊施設に泊ることになり、そこのご主人に感染したことをメールで伝えた。そんな義務はないのだが、何度もおじゃまし親しくしていたので、近況報告もかねて知らせたのだが。。。宿泊した夜に、「断ろうかと思って、一旦スタッフと相談したんだ」という。でも、スタッフから「もう回復しているんだから」と言われ、受け入れることにしたそうだ。スタッフが同意したら、私は宿泊拒否されていたわけだ。彼は、今、泊っている私に、そう話すのである。率直に話すのだから悪気はないのだろうが、それが「差別」だという意識もない。非科学的なことを話しているという認識もない。私は回復して3カ月が経っており、抗体がある可能性も高い(実際、その後の検査で抗体があるとわかった)。PCR検査も何の検査もなしに宿にやって来る人より、よほどリスクは少ないのである。けれど、私のような感染したことのある人、または東京から来る人は躊躇し、県内の人ならOKなのだという。愕然とする私を、一緒に行った友人はこう慰めてくれた。「嫌な思いしただろうけど、感染しなければできない体験でもあるよ。発信したほうがいい!」。

 来月、回復後はじめて地元で親族の集まりに出ることになった。その中には高齢者もいるため、身内が私に、「直前にPCR検査を受けたほうがいい」と連絡してきた。言葉遣いは丁寧だが、実質命令である。その人には感染したこと、検査を受け抗体が認められたことは伝えてある。しかし抗体があったとしても、東京から行く私はPCR検査を求められ、県内にいるその人は何もしないで高齢の親族に会うのだ。もちろん、東京のほうが感染者数は多いけれど、県内にも一定数の感染者はいる。感染リスクはその人にもあるという、その矛盾に、この人は気づかない。

 変異も増えているし、抗体が絶対でないのはもちろんわかっている。けれど、私も完全ではないのと同じように、その人にも、うつすリスクはあるのだ。だが、なぜか「自分はだいじょうぶ。でもあなたは検査して」ということになる。そこに、私が「東京の人」ということに加えて、「一度かかった人」という差別はないのか。

 もはや「新型コロナ」はひとつの感染症を超えて、社会的な病だ。

 疫病を退散させる「アマビエ」が人気を呼んだ。私も好きになり、スタンプに使ったりしていたが、今あえて「アマビエ」の責任を追及してみたい。 かつてアマビエに願掛けした時代と違い、感染症の仕組みは科学的に解明されている。しかし、多くの人は実は科学的に判断しない。おそれ、忌まわしいと思う。だから「感染者差別」が起きる。頭では新型コロナは「感染症」だと思っても、彼らにとって実はいまだに、「けがれ」であり、「おそれ」なのではないか。その象徴が「アマビエ」なのである。おおげさか。アマビエ自体は好きなのだが。ごめん、アマビエ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?