積の順序問題について考える

初めに

 みなさんは積の順序問題をご存じであろうか。存じ上げない方のために説明しておくと、初等教育において「積は交換してはならないもの」と教える風習がある。数学的事実から言えば、四則演算は交換法則が成り立つので、明らかな間違いである。にもかかわらず、小学校教諭は数学的事実に反して積が交換不可であると教える。これはどういうことなのだろうか。
 なお、のちに積は交換できると教え直すのだが、それは二度手間なのでは無いだろうか。それも含めて小学校教諭の思考回路を知ることができた一件があったので、共有しておく。

なぜ小学校教諭は積の交換を嫌がるのか

上のツイートを見てほしい。引用元アカウントは既に削除済みなので概要だけ述べると、「積の交換は応用なので先に教えるべきではない」といった内容だったと思う。つまり、積は元々交換不可である→積の交換ルールを追加するという順番で教えなければならないという思い込みにとらわれているのではないかと気がついた。つまり、

ということである。積の交換問題の根っこが実は使っていない漢字はバツ問題とつながっていたのだ。だから、「積の交換」というものを教える前に使う児童をバツにするのである。

学習には順番があるという悪しき風習

 というわけで、積の交換問題も、結局は学習の順番を教師が決め、そのペースから外れて早く学習する児童を疎外するという悪しき風習の一端であることがわかった。結局それは、教師のエゴにより児童を管理しているに他ならず、児童それぞれ一人一人に沿った指導ではないのが明確である。
 もちろん、現場で活躍している真っ当な教師としてはこう思うだろう。「そんなことをしていたら時間が足りない」と。少し待ってほしい。時間が足りなくて理想の教育ができないのであれば、それは教師の問題ではなくて、初等教育の構造上の問題では無いだろうか。確かに、紋切り型でマルバツを決めて、ベルトコンベア式に教育を進めればコストが下がる。しかし、それしかできないように教師の持てるコストが削られているのがそもそもの原因であろう。
 ベルトコンベア式と出てきたが、子供のうちに「いい学校に入り、いい就職先に就職し、良い給料をもらう」という理想像が定着してしまい、指導者に気に入られるような振る舞いをする子供が量産されてしまうのもまた問題である。
 学習とは本来は自ら進んで、際限なくどこまでも進めるものであるから、そういったベルトコンベア式にマニュファクチュアされた子供は学習意欲を持ちにくいと考えられる。ポケモン最新作で年配の学生に対し拒否感を示すツイートがあったのが記憶に新しいが、日本で生涯学習が定着しないのもここが原因では無いだろうか。
 まとめると、教育コストが低すぎるが故に、自ら進んで学ぶことのできる、創造的人材が生まれにくくなっている、そんな日本の現状があるのではないかと私は感じたのである。

積をどのように教えればスマートか?

 というわけで、積の交換不可がなぜ教えられているかを語ってきたが、ではどのように教えれば「数学と初等教育の齟齬が消えるか」を少し考えてみた。
 積の交換不可を教える(掛ける数とかけられる数を導入する)理由として小学校教師が挙げる理由の一つが「割り算で間違えてしまう」からである。確かに、“割り算”には順序があり、入れ替えると答えが変化する。しかし、“割り算”は数学では利用しない。順序が入れ替えられないことに不具合があるため、より良い「分数」による表記を行う。
 ならば、初めから割り算の代わりに分数を教えてしまうのはどうだろうか。初めから分数だけを教えれば、後々も使えるし、何より交換問題に悩まずに済む。同様に、引き算の代わりに負の数を教えてしまえば、こちらも交換が可能になる。
 小学生には難しすぎる? いや、難しいと勝手に制限しているのは私たち大人のエゴである。大人のエゴではなく、子供が主体的に学べるような環境こそ、本当に必要な教育環境だと私は思うのだ。

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