[ショートショート]「王様は裸だ」と叫んだ子供をいかに説得するか
ベージュ色の砂漠が地平線まで続く王国の首都はオアシスに置かれていた。その中央にある王宮は紺色の玻璃で覆われている。タージマハルを初めとして、王宮は左右対称である場合が多いが、この王宮は左右非対称で、最も高い部分は正面から見て中央よりも左側にあり、その裾は右側に尾を引いていた。そして王宮の正面からは大通りがまっすぐ、市街地を貫いて伸びている。
今まさに王様の即位10周年を祝うパレードが始まっていた。巨大の車の上に王は堂々とそびえ立ち、国民に向けて手を振った。民は挙って王を中心とした行進を沿道で見守っていた。
「あ、王様は裸だ!」と、パレードを見ていた子供が大声で叫んだ。
そこへ沿道で警備をしていた、痩せた衛士が子どもにあわてて駆け寄った。
「ほう、それでは君には王様の新しい服が見えないのですね」
衛士は薄緑色の甲冑で身を固め、体よりさらに細い、鉛筆のような槍を右手に構えている。その姿はバッタやカマキリのような昆虫を思わせた。衛士が兜を取ると、灼けた精悍な顔が現れた。額や目尻には深い皺が刻まれている。
「うん。僕には見えない」
「子供だから仕方がないですな。王様の新しい服は賢い人にしか見えないと、偉いお役人から聞きました」
「じゃあおじさんには見えるの?」
「見えません」
「なあんだ、見えないんじゃないか!」
衛士は5歳くらいのその子供を、ひょいと抱き上げた。
「はい。それは私が賢くないからです」
「おじさんはバカなの?」
「私はみなし子で、学校にも行っておらず、知識もありません。だから賢くないのは仕方がありません、ただ」
「ただ?」
「自分が賢くないことは知っています。ソクラテスという昔の哲学者が『無知の知』と言っていますが、聞いたことありますか?」
「あるよ名前は。でもどんな人かは知らない」
「ソクラテスは当時の知恵者と言われる人々に対して、確実な知識を持っているかどうか確かめるために問答を挑んだそうです。しかしソクラテスと対話した人々は、満足に答えることができなかった。そこでソクラテスは、『自分は無知だけれど、自分が無知だということは知っている』と語ったのです。それを『無知の知』と言います」
「ふーん」子供は不思議そうな顔をしている。
「おじさんは自分が無知であることを知っている賢い人に思えるんだけどな。そのおじさんに見えないということは、やっぱり王様は服なんか着ていないんでしょ」
「そんなことはないのです。私は賢くないから、王様の服が見えないのです。坊ちゃん、そんなことを喋っちゃいけませんよ」
衛士は会話を打ち切るように、子供を地面に下ろし、再び兜をかぶった。
子どもは衛士のそばを離れた。でもどうしても「王様は裸だ」と言いたかったので、しばらく離れた場所で、もう一回、「王様は裸だ」と大声で叫んだ。
すると今度は、すぐ近くにいた若い女性が、子供に話しかけた。
「坊や、王様の服が見えないの?」
「うん、見えないよ。お姉さんには見えてるの?」
「見えないわ」
「賢い人しか見えないんだってね」
「私にも見えない。でも、王様は素晴らしい服を着ていると仮定するの」
「仮定ってなに?」
「仮にそう思うということよ。私たちには見えないけれど、王様は素晴らしい服を着ているんじゃないかしら。王様はたいへんな金額をあの服に払ったのよ」
「王様はバカだね」
「どうして?」
「見えないもののためにお金を払うなんてさ」
「坊や、大事なものは目に見えないのよ。坊やはママのこと好きでしょ?」
「ママのことは大好き」
「大好きってことは、目に見える?」
「見える、かな」
「本当?」
「ママにだっこしてもらうと、ママがすぐ近くに見えるよ」
「ママは見えても、『好き』ということは見えないのよ。愛とか、人を思いやる気持ちは、直接には目には見えないの。だから、目に見えなくても素晴らしい服を着ていると思えばいいのよ」
「じゃあ何でお姉さんはそんな素敵なお洋服を着ているの?裸じゃないの?」
「お姉さんは王様ほど立派じゃないからよ。だから目に見えるもので着飾っているのよ」その若い女性は薄桃色のドレスに身を包み、羽飾りをつけた大きな帽子をかぶっている。宝石を多数あしらった首飾りもネックレスもとても重そうだ。
「ふうん、なんか変だなあ」
子どもはどうしても「王様は裸だ」と叫びたかったので、今度は沿道のそばの建物の中に入って、「王様は裸だ」と叫びました。
「こらこら、やめなさい」
今度は別の中年男性が話しかけてきた。灰色のパリっとした背広を着こなし、水玉模様のネクタイを締めている。
「だって王様は裸じゃないか。何も着てないじゃないか。なんでそんなものに大金を払うの?」
「王様が払ったお金はどうなると思う?」
「どうなるの?」
「お金を受け取った洋服屋が、例えば市場で買い物をするよね」
「うん」
「市場で物を売った人に、お金が入る。お金が入った人はまた、何かを買うだろう?」
「そうだね」
「お金はそうたってぐるぐる回っていくのさ。難しい言葉で言うと、経済が活性化するんだよ。お金が回らないと国は発展していかない。服が見えようが見えまいが、王様がお金を使って新しい服をしつらえたことは正しい。それに」
「それに?」
「王様のあの堂々とした姿をごらんよ。王様は若い頃から体を鍛えていて、もはや筋肉が服と言ってもいいくらいだ」
「たしかにたくましいよね」
「うん。私たちは王様の肉体をとても誇らしく思っているし、王様自身もそうだろう。王様はお城にいる時はだいたい筋トレをしているらしい。だから王様には、自分の肉体を誇示して見せたいという気持ちがあるのかもしれない。民が賢くなくて、自分の服を見ることができなくても、自分のこの肉体を見よ、ってね」
「じゃあ、ぼくが『王様は裸だ』って言ってもいいじゃないか」
「言ってはいけないよ」
「どうして」
「みなの共同幻想が壊れるからさ。王様は立派な服を着ているという、みんなの思いが崩れてしまうからさ」
「あの裸が洋服だと思えばいいじゃん」
「そういうわけにはいかないんだよ。どうしても言いたいのなら」
「言いたいのなら?」
「ここじゃなくて、森の奥に行って、木のうろにでも叫ぶんだね」
「森?ここは砂漠だよ。森なんかあるの?」
「あるよ。この地図をごらん。ここに森があるんだ」
「あ、あるんだね。随分遠いなあ」
子どもはどうしても「王様は裸だ」と叫びたかったので、言われた通り森にずんずんと入って行った。森の奥に、大きなうろのある木があるのは、みなが知っていた。子どもはうろにむかって、『王様は裸だ』と、大きな声で叫んだ。あまり大きな声で叫んだために、声はうろの中で反響して、外へ漏れ出ていった。「王様は裸だ」という声が。
それから数日後、王様はお忍びで、この国の宗教を司る枢機卿のところに、こっそりと一人で王が現れた。
「これは王様。今日はどういったご用件で」
「懺悔しようと思ってな」
「何か罪でも犯されましたか?」
「先日のパレードの時、私は全裸だった」
「ああ、新しい服のお披露目という名目のパレードですか。どこからか、子どもの声で『王様は裸だー』という声が聞こえてきましたね」
「私は自分が裸であることは知っていた」
「でしょうな」
「しかし、『頭のいい人だけが見える服』だという、あの悪徳商人の言葉を信じたフリをした」
「どうしてまた?」
「それはな、鍛えに鍛えたこのわしの肉体を、多くの国民に見せつけたかったのだ」
「わが国には裸を見せてはいけないというキリスト教道徳に基づいた西洋風の法律はないのですから、裸を見せても罪にはなりませんよ」
「いきなり裸を見せる訳にはいかん。変態と思われる。口実が必要だったのだ」
「なるほど。まあ大した罪でもありませんが、なぜそれを懺悔しようと思われたのですか」
「それはな、体だけでなく、心も裸になろうと思ったのだ」
懺悔を終えた王様が、気持ちよくお城に戻ってみると、現金、宝石など全ての換金可能な財産は盗まれた後だった。お城という不動産だけは残っていたが、ご丁寧なことに、暗号通貨まで全部盗まれていた。それだけではない。王様の個人情報は、その悪だくみも含めて、すべてウィキリークスを通じてネットに公開され、王様は文字通り丸裸にされてしまった。
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