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四半世紀ぶりのグッド・ウィル・ハンティング


細かな内容は忘れていた。
妻が「人生で3本の映画に入る」という映画が『グッド・ウィル・ハンティング』だった。四半世紀前の映画を、久しぶりに見返した。

「大きな事件めいたことは何も起きず、主人公の心の中の変化を2時間かけてていねいに追う映画なの」と妻のいうとおり、心理療法の過程を丹念に描く、少々風変わりな映画とも言えた。

「この映画は“痛み”についての話なの。どの人物にも等しく痛みが描かれていて、どの人物にも共感ポイントがある」と妻がいう。

(以下ネタバレを含みます)

主な登場人物は5人。
主人公ウィル・ハンティングを演じるマット・デイモン。天才的な頭脳を持ちながら、継父から虐待を受けた過去のある孤児で、その傷を隠すように他人に心を閉ざし、暴力沙汰を繰り返している。こじらせ系の荒ぶるギフテッド。王子様気質でありながらその内実はガラスのハート。
マットの数学的才能を発掘し、彼を更生に導こうと奔走する数学教授に、ステラン・スカルスガルド。
ステランの旧友で、しがない精神分析医に、ロビン・ウィリアムズ。
あとは、マットの友人(ベン・アフレック)とマットの恋人(ミニー・ドライバー)。

「私は、人の幸せよりも、人の痛みに強く反応してしまう」と妻がいう。
登場人物がつらい目に遭うばかりで救いのないドラマには、彼女は決まって心を痛める。作中で不幸なまま投げ出された脇役がいるだけで落ち着かなくなる。その点、この映画のラストにはそれぞれに救いがもたらされていた。
ぼくは妻のその感受性の強さに心を打たれる。ぼくはどちらかというと作中人物のエシカリティ(倫理性)が気になってしまうほうなので、心の痛みが克服されているかについてはやや軽視しがちだった。

今回見返してみて、ぼくが最も感情移入したのは、ロビン・ウィリアムズの役どころだった。

妻を病気で亡くした失意の中、マットのカウンセリングを任されるうち、彼自身も触発されて殻を破っていく。
ロビンの目線から見ると、秀才の旧友(ステラン)と、超天才の若者(マット)という自尊心を抉ってくるような二人と対峙し、自らの内なる嫉妬心や、彼らの承認欲求に飢えた満たされない心境を見とめる。不意に自分の足許が揺らぎ、自信の根拠が問われるような心地になる。三者三様に、自己肯定感の不確かさに困惑する。

何者かになりたかった、と妻はいう。それなのに、今は何者でもない、とも。
ロビン扮する精神分析医も、もしかしたら同じ心地に陥ったのかもしれない。人は、自信と過信と不信の間を絶えず行き来する。自分に対するその揺らぎを通してでしか、自らの立ち位置を確立できないとさえ思う。

物語の終盤、ロビンはマットに向き合って言葉を放つ。
「It's not your fault」(君は悪くない)
どっしり相対して構え、一歩ずつ迫る。マットが「それはわかっている」と口を歪めるたび、もう一歩迫り、確信に満ちた声で繰り返す。1ミリも引かない。動じない。
いちばんの見せ場で、映画史上屈指の名シーンだ。
ロビン・ウィリアムズがこの映画から17年後、鬱病の末に自死することも含め、ぼくの脳裏に言葉が迫る。
――君は悪くない。

やがて、自分の年齢が、精神分析医を演じたロビンと2歳しか違わないことに、めまいを起こしそうになる。

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