見出し画像

本を読むことは、急がずに生きること


土曜日。ハモニカ横丁の鮨屋〈片口〉で妻と少し早めの晩飯を済ませると、古書店〈百年〉へ向かう。生ビールと白ワインを飲み、ほろ酔い気分である。
店に入ると、妻もぼくも静かに各々の書架に向き合う。1冊ずつ背表紙を読み込み、相変わらずの選書のセンスに唸る。知らない本ばかりだ。気になる本が次々に出てくる。自然と背筋が伸びる。

ぼくは5冊ほど手にしていたけれど、閉店間際まで吟味し、最終的に2冊に絞って購入した。『掠奪美術館』(著・佐藤亜紀)と『ハードボイルド・アメリカ』(著・小鷹信光)。どちらも30年以上前の書籍で、絶版になっている。
妻は3冊選んでいた。『モロッコ革の本』(著・栃折久美子)と『骸骨巡礼』『身体巡礼』(著・養老孟司)。
まるで領域が重ならないところが面白い。

そのまま、通りをわたったところにある地下喫茶〈くぐつ草〉に移動し、パンプディング・セットを注文し、本を開く。店内はだいぶ賑わっていて騒々しかったけれど、ぼくらの周りは静寂の渦が取り巻いている。穴蔵のような薄暗がりで、ゆっくり本を捲る音だけが重なる。至福の時間が訪れる。

本を読むことは、急がずに生きることを促してくれる。
なにしろいくらでも好きなだけ時間をかけられるのだ。大してお金をかけずとも、これほど大量の時間を消費できる趣味が他にあるだろうか。

本は「タイパが悪い」と言われるものの、じつは逆ではないかという気がする。暇つぶしの方策として捉えると、こんなにていねいに時間を扱える手段も珍しいのだ。速く読んでしまうなんてもったいない。

ぼくは昔よりも、ずっと読書量が減っている。読むのが遅い上に、読書時間も減っているのだから当然だ。もう量を追えないのならば、せめて優雅に時を使いたい。できるだけ精読したい。そして、人が読まない本をいかに読めるかにこだわりたい。

〈百年〉と〈くぐつ草〉を廻るたび、身が引き締まる。ああ還ってきた、と安堵する。どこに行って戻ってきたのかも判らぬまま独りごちる。

この記事が参加している募集

今日やったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?