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仮想空間で自由になれるのか

先日メタバースに関する本を読んでいました。メタバースとは仮想空間のことだそうです。そこで気になった内容がありました。依存するのではなく自立する事の大切さが叫ばれている今日ですが(私の月の心理学もそうです)自立することが逆に苦痛になると言う人もいるという内容です。あるところに所属して守られている環境の方が安心で楽だということなのです。自立(自由と平等)より依存を選びたいという人もいるということなのです。
そのように考える人はメタバースと言う仮想空間内で自由と平等を楽しむことができるという考えがあるようです。しかしその仮想空間内でさえも人と自分の能力を比較して苦しむというケースもあるようなのです。
結局どこの世界においても自分自身が自分を他人と比較している以上、どんなに良いと思われる仮想空間に逃げることができたとしても私たちは自由にはなれないのです。その原因は一体なぜなのでしょう。本当の自由とは一体何なのでしょう。結論として私は『自分以外の価値観から捉われることがない世界』がどんな状況下においても自由である、という結論に辿り着きました。結局私たちは自分と他人を比較してそれを重要な価値観としている限り、どんな世界に行っても満たされることはないのです。それはたとえ仮想空間内であっても同じだということがわかりました。
仮想空間内で自分の感性また能力を楽しむことは、最先端技術を駆使した現代ならではの娯楽であり、また娯楽だけにはとどまらずあらゆる生活の中での体感、感性、仕事、恋愛、など現実の世界をそのまま移行できるような容量、価値をもたらす可能性を秘めているようです。秘めているどころか今現在そのようにしてメタバースの世界を生きている人もいるようなのです。そのようにメタバースの世界を楽しく生きている人は、自分の価値観をしっかり持っているのだと思います。自立した意識を持っているのです。
現実世界で自立する事から逃げたくてメタバースの世界へ移行する人は、現実世界とメタバースの二つの世界の中で自分を失望させる危険性があると感じました。私たちはいかなる世界に存在するとしても自分自身の価値観をしっかりと持って、居心地のいい環境を追求していくことが大切であり、それこそが自由な状態であるということを意識する必要があると感じました。

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