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隔たる世界の2人 (映画感想文)



「死ね」 


休みの日に早く目覚めたのは、さあ今日はなにしようかな、とウキウキとする気分のせいでもあったし、前日にアンドリューと交わしたLINEでのもやもやとしたやり取りのせいでもあった。 


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アンドリューと出会ったのは、ちょうど10年前のことで、大学の交換留学制度を使って、1年間中国に滞在することになった先での留学生同士の出会いだった。 

韓国生まれでアメリカ育ちの彼は、日本に留学経験があり、すでに3カ国語を習得しているのに加えて、さらに中国語にも挑戦しようとのことで中国に来たと言っていた。 

留学先が中国の都市部ではなかったため、日本人からの人気はほとんどなく、自分含め、4人しか日本人がいない中、日本語が堪能なアンドリューの存在は大きく、言語面はもちろん、初めてできた友達の勢いのまま、留学期間の1年間は最初から最後まで、たくさんの時間を共有し、たくさんの思い出を作った。 

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‘死ね’とLINEのメッセージが送られてきたのは、自分が友人とご飯を食べている最中で、現在はアメリカに住んでいるアンドリューからの電話に出れず、‘今、友達と飯食うとるわ’と電話の代わりにメッセージを送った際の返事であった。 

従来の関係性で〜
気軽なテンションで〜
友達だから〜

1年ぐらい前から、アンドリューのこういったコミュニケーションの方法に少し嫌気が差していた自分は、自然とアンドリューからの電話に応えないことも多くなっていた。 


そういう思いがあり、どうにか時間をかけて折り合いをつけていければと考えるも、前日に交わしたLINEのやり取りを見返して、もやもやとした気分でいたのが半分で、もう半分は休みの日で、まだ眠気が残る身体をベッドの上でゴロゴロとさせながら、ああ今日はなにしようかなと考えている幸せなウキウキとした気分であった。


結果、もやもやとした気分はそのままベッドに預け、今日一日を期待するウキウキとした気分を映画に向けることにし、前日に発表された2021年アカデミー賞短編実写映画賞の作品を、30分だから、気軽に、ベッドの上でダラダラしながらスマートフォンで観ることにした。 

タイムループに閉じ込められた男が、愛犬が待つ自宅に戻る途中で、警官ともめて殺される恐怖を何度も繰り返す。アカデミー賞最優秀短編映画賞ノミネート作品。

        Netflix「隔たる世界の2人」


冒頭の洒落た映像と音楽と衣装とで、すでに、あったか毛布にくるまりながらパジャマで怠惰に過ごす自分の心を十分に着飾ってくれ、この時点でもうウキウキとした気分がほとんどを占めていた。 

それに乗じて、主人公も寝起きのシーンから始まることに、自身の状況とも一致し、物語の中に入っていくのは、小さいスマートフォンの画面でさえも容易いものであった。

そんないつも通りの平穏な日常で、当たり前にあると信じている今日一日を想いながら観たからこそ、突如襲ってくる、無理矢理ベッドの上を土足で上がってこられるような描写に、主人公の行動を祈ることしかできず、心の奥底で祈る気持ちが表面化するといえば、それは涙を流すことしかできなくて、あっという間の30分に、ただぼんやりと起き上がり、カーテンを開け、燦々と降り注ぐ太陽の光が自身をまぶしすぎるほどに包み込んでくれたのは、とてもとても素晴らしい一日の始まりではあるのだけれど、雲一つない真っ青な空の安心感に、嬉しくて、悲しくて、また涙が流れた。



自分にとって、さあ今日はなにしようか、と、考え、まずやるべきことは、もう映画を観ながらほとんど中盤ぐらいには決まっていて、それはアメリカにいるアンドリューに連絡することであり、中国で出会い、10年の歳月が経ち、現在、日本とアメリカで、島国と大陸で、海を境として、’隔たる世界の2人’が、分かり合うよりは、確かめ合うことに、ゆっくりと時間をかけていきたいと思った。




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