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香港映画を見た

金曜日の夜。
終電で帰ってきたパートナーと遅い夜ご飯を食べた。食べ終わるもつかの間。
「今日は夜更かしする。」
こたつに寝転んで、本格的にここで過ごすと宣言された。
とはいえ、隣に座るだけで何をするでもなく。テレビはつけたままに、お互い本を読んだりスマホを触ったりするだけの時間だ。

かつての私がそうだったように、今のパートナーは夜更かしして何かをなすのではなく、ただなんでもないコンテンツを消費する時間が必要なのなと思う。
仕事が混み合ってきて、終電帰りばかりになると、自分の時間というものは本当にない。大概朝は飛び起きて走り出て行くことになり、ご飯の時間さえおざなりになる。

そして本当の自由時間はトイレタイムと電車移動の時間くらいになってくる。
楽しみは電車移動だが、そんな生活が1〜2週間くらい続くと、車内でスマホを見る元気すらなくなる。音楽を聞く元気ももちろんない。ぼーっとする時間になる。
その分、家に帰ると睡眠時間を削りスマホでだらだらリール動画なんか流し見したりしたくなる。
これはパートナーとの会話では埋められない何かだと思う。

話が随分逸れたが、いろいろしんどいとなおさら週末の夜は素晴らしい。

そんな最高にだらっとした時間を過ごしていると、不意にテレビが無音になった。
週末の深夜といえば、色々とバラエティが続いていたはずだ。
いつもと違い無音を流すテレビを見てみると、香港映画の賞とタイトルが表示され、淡々と映画の上映が始まった。
部屋の前に落ちた死体をマンションの住人はどうするかのブラックコメディ。

タイトルからの印象に対し、かなりポップなテンションでものごとが進んでいく話だった。
深夜の変な時間に急に始まったが、なんやかんや最後まで見て、後味も良い。

▶︎昨年度第18回大阪アジアン映画祭
ABCテレビ賞受賞「四十四にして死屍死す」

香港映画を見たのは2度目である。
そのときの心地よさもあり、なんとなく見始めてしまったというのもある。

初めて見た香港映画は、大阪梅田のミニシアターだった。付き合って間もない頃の仕事帰りのデートで、急に降りだした雨の中、小さな傘で2人で走った。
▶︎恋する惑星
両親が青春時代くらいの映画だった。
2つのストーリーがつながって、1つのタイトルになっている。

一つ目は逃げる女と出会う悲しみのイケメンの話。かなりざっくりとした記憶なので間違いかもしれない。印象に残っているのは金城武。作中悲しみにくれあらゆる女の子に電話をかけてとにかく誰でもいいから会おうとするシーンがある。聞き慣れない言葉が多い中、不意にストンと日本語でも口説き始めたので、急に生みな感じがして驚いたのだ。そして何よりかっこいい。

二つ目はベリーショートの女の子がかわいい。激しい片思いの話。普通に考えると恐ろしい愛の向き方だが、彼女の可愛さと無邪気さがそれをまっすぐに見せる。作中の印象的な音楽が、その景色と一緒に思い出される。妹の恋愛を応援するようなハラハラ感ともどかしさ。そして終わり方の気持ちよさが心地良い。

異国だが、景色に湿度があって、近いような遠いような不思議な感じがするのが、香港映画の魅力の一つだと思う。

梅田のミニシアターは閉まってしまったらしい。あの小さなシアターで、雨に降られてしっとりしたままみた、湿度のある香港映画はそのシアターの記憶そのものになってしまった。

あの日の続きみたいに、今後も香港映画を思い出したようにみる気がする。異国の湿度を求めて。

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