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小説『雨下の向日葵』2018年夏―①

読んでいただいてありがとうございます。この記事は続けて投稿している小説の第九回となります。
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 吹き始めた風が、窓の外をひゅうっと音を立てて過ぎていくのを聞きながら、私は読みかけの本を閉じた。土砂降りの雨がアスファルトや建物の屋根を叩いて飛沫を散らしているのと、雲越しに町に浸透する光の弱さのせいで、窓の向こうの景色は青みがかっている。閉じた本をテーブルに置いて、代わりに手に取った携帯で天気予報を検索してみると、台風は丁度今この辺りの地方を横切っているらしかった。明日になれば、本土を日本海側へ抜けてそのまま去ってくれるようだから、もう数日待てば天候も回復すると思いたい。
 今日は木曜日だったけれど、仕事は休みだった。台風が来ているから、ではなく、私が有給を使ったからだった。本当なら、昨日今日明日と伊勢の方へ、小説のための取材も兼ねて旅行へ行くはずだったのだけれど、その計画は、今まさに列島を我が物顔で踏みつける台風に吹き飛ばされておじゃんになってしまったのだ。しかしだからといってこの雨では外へ出ることもできず、筆が進む気もせず、ぶつぶつと文句を垂れながら、買ったまま本棚の肥やしになっていた小説を読もうと手に取ったのが昨日の夕方。それから、今まで、食事と睡眠など、生活に必要な時間以外はずっと、今しがたそうしていたように読書に耽っていた。
 小説を読むのは、本当に久しぶりだった。特に意識して読むのを避けていたわけではなかったのだけれど、大学を出た頃辺りからあまり読まなくなって、ここ数年は、暇を見つける度、書店で気になる本を買うだけ買って、後はさっきの説明の通り、棚で放置するだけになっている。
 テーブルの上に置いた単行本の表紙を見て、自分がそれを読み始めたきっかけが、買った本をいつまでも読まないわけにもいかない、という義務感だったということに、不意に思い当って、私はひどくブルーになった。仮にも小説家を目指している人間が、小説を誰よりも愛しているはずの生き物が、そういう気持ちで作品を読むようになるのは、何というか、まずい気がする。だってそれはつまり、自分の小説への想いが少なからず揺らいでいる証拠だからだ。そう考えれば考えるほど、だからこそ、小説を今一度愛さなければ、という義務感に満ちた結論の声が頭の中で大きくなっていく。これは重症だな、と、静かに鼻で笑う。
 立ち上がり、空になったコップを持ってキッチンへ向かう。もう一杯コーヒーを飲もうか悩んだけれど、あんまりカフェインを摂取し過ぎるのも良くないと思って、コップはそのまま流しに置いて、その場を離れた。特に理由もなく、足の赴くままに居間に戻って来たものの、一度本を閉じてしまうと、なんだか、もう一度それを開くのが億劫に感じられて、私は窓枠に手を触れて、外の景色に視線を添わせてみた。アルミ製の窓枠から肌に伝わる冷たさが、景色の色を一層暗く見せているような気がする。時折、車のヘッドライトの光が通りを走っていくのが見える。この雨の中でよく外出したものだと思う。畳んだ扇のような形で伸びるはずのライトは、今日は雨のせいでその光の中に無数のひっかき傷のような柄を付けている。もうちょっとよく見たかったけれど、窓それ自体が濡れているせいで、離れた場所は鮮明には見えなかった。
 そういえば、とテレビの横のプリントや封筒の山に近寄って手を伸ばした。この山は、家のポストに入れられた投函物たちだ。本当なら、見つけた日に内容を確認するべきなのだけれど、ポストを確認するのは大抵、疲れ切った仕事帰りなので、ほとんどはこうして、テレビの横に放り出したまま、少し執筆をしている間に存在を忘れて、そのまま寝てしまう。上から何枚か、必要のない不動産やピザ屋の広告をまとめてくしゃくしゃに握ってから横のごみ箱に投げ入れる。ちょっとコースがずれたかと思ったけれど、上手く入った。ホームラン。いや、ホールインワンか。なんでもいいや。野球もゴルフもやったことないし。
 同じように他の広告や、中身を既に確認していた封筒などを処分して、残ったいくつかの中から白い封筒を一通取り上げた。
 封筒は縦長で、受取手である私の名前と住所と、「山衣第四高等学校同窓会実行委員会」と送り手の名前が書かれている。横には当然、住所も書かれているが、多分、実行委員会とやらのメンバーの内、誰かの自宅だろうと思われる(部屋番号なども書かれているからマンション住まいらしい)。人差し指を隙間に差し込んで、接着面を押し広げるように、指を強引に滑らせていくと、びりっと音を立てて封筒の口が破けてしまった。一瞬手を止めて、けれどすぐになんだかあほらしくなって、そのまま口をびりびりに裂いて中身を取り出した。封筒はいつも綺麗に開けようとするのだけれど、上手くいった例がない。ハサミを使えばとも思うけれど、万が一、中身を切ってしまったらと思うとこわい。
 封筒の中身は、二枚重ねて三つ折りにされた白地のプリントと、こちらも折りたたまれた封筒で、プリントの一枚目は当然ながら、同窓会実施の要綱、二枚目は参加の意志の有無、または参加の可否を問うための用紙になっていた。返答は、二枚目の用紙に必要事項を記入し、同封の封筒で返送するか、一枚目の要綱のプリントに書かれた連絡先に電話もしくはメールで伝えてほしいとのことだった。この連絡先も、送り主の住所に住んでいる人のものなのだろうか。実行委員会会長の飯田、という人の連絡先らしいが、そんな人、同級生に居ただろうか。いや、居たのだろう。高校の同級生の名前なんて、美典以外はフルネームで言える自信がないし、顔に至ってはほぼ覚えていない。そりゃあ、そういう人たちのことも、実際に会えば思い出せるのかもしれないけれど、わざわざ高い会費を払ってまで会いに行くほどの相手ではないし、顔を突き合わせたところで話すような思い出もない。なんにせよ、私の同級生たちに関する記憶はほどんどあてにならない。この飯田と言う人も、私が覚えていないからといって同級生に居なかったという可能性より、私の記憶から完全に消滅しているだけの可能性の方がよっぽどあるのだ。第一、同級生でもない人がわざわざ私たちの代の同窓会を企画する意味もない。
 ここまで考えて、一瞬、新手の詐欺、という可能性も考えたのだけれど、もしそうだったとしたら、名前も住所も年齢も、出身校の情報まで掴まれているようでは手遅れだと開き直った。
 そういえば、美典は同窓会には行くのだろうか。あの子が行くなら、私も考えないこともないのだけれど。同窓会の後に二人でどこかへ食事に行ってもいいし。そう思って、携帯を手に取って、「同窓会のお便り来た?」
とメッセージを送ってみる。返信が来たのは午後六時を少し過ぎた頃で、簡潔に、
「来たよ!」
という言葉だけが返って来た。続けて、笑顔のキャラクターのスタンプ。私の知る限り、美典も別段、友達の多いタイプではなかったはずだけれど、同窓会の誘いは嬉しかったのだろうか。考えたところで、「あんた友達いないのに同窓会誘われて嬉しいの?」なんて性根の腐り切った思考を質問にすることはできず、ただ、
「美典は行くの?」
と送ってみる。メッセージが返ってくるまでに、今度は二三十分ほど間が空いた。多分、仕事帰りなのだろう。これから帰って、姪っ子の光ちゃんの世話もしないといけないのだと思うと、一人暮らしの自分の生活が贅沢なもののように思えて来る。決して、家族がいる生活を否定しているわけではない。美典は光ちゃんのことを、高校生の時から本当にかわいがっていたし、何より彼女自身、他の人に何かをしてあげるということを全く苦にしないお人よしだから、女手一つで光ちゃんを育てることも、苦しいとは思っていないのだろう。寧ろ、楽しんでさえいるかもしれない。そういう部分は、昔から変わらない、彼女の美徳だと思う。
「悩み中・・・葵ちゃんは?」
 夕食の準備を始めたころ、美典からそんなメッセージが届いた。会う度に、もう葵ちゃん、なんて歳じゃないよと言っているのに、美典はいつも私を葵ちゃんと呼ぶ。人前でそういう呼び方をされると、なんだか気恥しくなるから嫌だ。
「私も」
 トマトを切ったせいで手が汚れていたこともあって、私はそれだけを返し、料理に戻った。

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