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MONEY!

16か17の頃、
授業を抜け出し喫茶店でサボっていると、
当時ヒットしていた
浜田省吾の『マネー』って曲が流れてきた。
しょっちゅうサボってたから、
しょっちゅう流れてきた。

この曲、当時何百回聞いただろう。


純白のメルセデス
プール付きのマンション
最高の女とベッドでドンペリニョン
欲しいものは全てブラウン管の中
まるで悪夢のように

ってフレーズがいつまでも耳に残り、
高校生の妄想をそそり立てた。

ベッドでドンペリニョン?

ドンペリニョン??ベッドで???

ドドドドンペリニョンってなんやねん!?
ってモーレツに興奮したものだが、
何のことはない、シャンパンのことだった。

この歌を聴いて、当時のボクは
絶対に金持ちになったんねん!
と思ったに違いないが、
実際は授業をサボってばかりの落ちこぼれ。

金持ちどころか、
生きるために必要最低限のお金さえ
稼ぐことが出来るのかも怪しいレベル。
ドンペリニョンどころではない。

貧乏ならかっぱ巻きを食うしかないが、
せめて鉄火巻きを食べられるようにはなりたい。
いや、出来れば赤身の握りを食べたくて、
金持ちになれば中トロだって食べられる。
大金持ちになれば大トロを腹一杯食べられる。

これがいわゆる
「マグローの5段階欲求」と呼ばれるものだが、
とにかく人間の欲求欲望には
上へ上とキリがないものである。
本来そうであるハズなのである。

しかし、欲しいものを手に入れる前から
「まあ、ほどほどでいいや」
と考える人たちがいる。結構いる。
そんな若い連中をさとり世代なんていうらしいが、
中高年にだって結構多い気がする。

時代が変わって、
そんな物欲の塊みたいな考え方は
カッコ悪いもんでしかないのだ。
そんな、もっともらしい解説も聞いたこともある。

生活に必要な最低限のお金を稼ぎ、
あとは自分らしく生きる。

なるほど。

自分らしさを壊してまで、
金儲けに時間を費やしても不幸になるだけ。

なるほどなるほど。

確かに、ベッドでドンペリニョンを
飲むことが人生の目的ではない。

仏教にだって「足るを知る」という教えがある。
欲求や欲望はどこかで線引きしないと。

確かにその通り。


しかし、

ボクはこれまで
お金がなくて苦労したし、
悔しい思いもした。
惨めな思いもしたし、
情けない思いもしてきた。

なんでこんなしょうもない奴に
バカにされないといけないんだっていう
怒りも感じたし腹立たしさや苛立ちもあった。
なんでこんなサイテーな奴に
顎で使われないといけないのかっていう
悔しさもあり情けなさも感じた。

そんな思いをしなくて済むためには
とりあえず金を稼いでみせるしかない。
しょーもない奴の言うことを聞かないで済むように。

物欲ではなく、そこから抜け出すために
そう考え、それを目指そうとしたんだな。きっと。
中トロも大トロなんて関係なしに。
そもそもマグロよりタコの方が好きだ!

時代は変わったというけれど、
果たして、金がなくても
悔しい思いも情けない思いも
しなくて済むような世の中になったのか?

バカにすんなよ!舐めんなよ!って
憤ることすら時代遅れなのか?

確かに、世の中には
稼ぎ方や使い方がみっともない連中が多い。

しかし、だからといって、
お金を稼ぐことを頭から否定するのではなく、
世の中に貢献し価値あるものを提供しつつ
カッコよくお金を稼ぎ、稼いだお金を
カッコ良く使えばいいじゃない。

逆に価値あるものを提供しているなら
胸を張ってお金を稼ぐべきであると思う。

実際、世の中には
そういうお手本がいないわけではないのだから、
価値ある人が、浜省よろしく『マネー!』って叫びながら
カッコよく金を稼いで、カッコよく使う。

『成り上がり』を読んで大人になったボクは
やっぱりそんな世界観が好きなようだ。

(おしまい)


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