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OH!Buddy

 20代〜30代にかけて10年近く、一緒に会社を経営した4人の仲間たちがいた。社会人になってから出会った仲間たち。資本金を均等に持ち合い、給与も全く同じという共同経営。銀行からの借入れにも全員で個人保証の判子を押した。単なる友達とも唯一無二の親友とも違うけど、ピジネスパートナーというライトな関係でもなかった。大袈裟でキザな言い方をすれば、人生の一時期を共に駆け抜けた運命共同体。

 20代の後半、事業が軌道に乗って少し儲かるようになると、勢いにのって分不相応な西新宿の高層ビルに入居。でも、毎月1千万円以上の家賃が高すぎて払えなくなって、1年も経たずに早稲田の近くの商店街にある雑居ビルに移転した。莫大な借金が残ったから地道のコツコツと返すしかなくて、早稲田での数年間は朝から夜中まで馬車馬のように働いた。

 固定費や光熱費も節約しないといけなかったから、夏でも夜になるとエアコンを切って窓を全開にして凌ぐ。窓の外に見えるのは高層ビル街の夜景ではなく、古ぼけた下宿や安アパート。明かりにつられてか、カナブンやら蛾やら見たことのない虫が沢山オフィスに飛び込んでくる。小さいヤツ大きいヤツ、遅いヤツ早いヤツそして臭いヤツ。残業してる社員たちと「そっち行ったぞ!」「そこで追い込め!」なんて虫退治。やってらんねー!とブチ切れるヤツもいたが、ケツの座りの悪い高層ビルよりも楽しかった。

 借金を完済し早稲田から脱出して、業界ではちょっとは名の知られる会社になり、再び右肩上がりの上昇気流の真っ只中にあるなか、ボクは一人、仲間達と別れて独立することにした。ケンカ別れした訳ではない。かと言って、目指すべき方向性の違いという大袈裟なものでもない。「何が心地いいか?」という価値観の違いが自分の中で明確になり、どうしたものかと考えた結果、自分の心地いい居場所は自分一人で作るしかないという結論に行き着いた。「なんでまたこれからという時に」と仲間からは呆れられたりした。

 あれから20年。みんなそれぞれ紆余曲折あっていまを生きている。元々の会社は僕が辞めてからも業績を伸ばし続け、その後負債を抱えてなくなり、結局はみんなそれぞれ「自分の居場所」を作って逞しく元気に頑張っている。個別にちょこちょこ会ってたり飲みに行ったりはするけれど、5人で集まるなんてことは20年間で数えるほどしかなかった。

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 客観的に振り返ってみると、5人は特別気が合ったわけでも相性が良かったわけでもない。よく一緒に酒を飲みもしたが、よくケンカもした。経営に対する考え方も、夢みる将来像も少々違っていたのかもしれない。

 それが、歳をとり過去の出来事に生臭さがなくなり、お互い良いこともそうではないことも、心から素直に認め合えるようになったのか、50歳を過ぎてからは何やかんやと年に一回は5人で集まり酒を呑むようになっている。たわいのない何でもない話をしてゲラゲラ笑っているだけなんだけど、それがほのぼのと楽しい。

 人生を賭けて苦楽を共にした仲間は、どんなにお金を積んだって得られるものではない。プライスレス。人生の財産。

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