本来、同年代の普通の子どもたちと過ごすことは良いことなんです。

普通クラスに馴染めないということは、その子本人の責任だけではありません。
今は33才になる娘を見ていて、はっきり感じるのは。
Yを受け入れて、好意的に関わってくれる人をYは好きです。
あまり好きでない人と、好意的で自分も好きな人とは、ぜんぜん態度が違います。

ちゃんと人を選り好みしています(笑)

サヨナラのバイバイができるようになったのは、実は最近です。
それまでは、私がYの手首持ってバイバイさせてました😅
最近はスタッフさんやヘルパーさんに、ちゃんと手をふってバイバイします。いまだ、自閉症特有の手のひら自分に向けてのバイバイですが、
可愛いと言ってもらえるのであえて直させていません。とにかく学童期から高校卒業してもバイバイなんてしませんでしたから。今は通所施設のスタッフさんたちは同年代の30前後学童多く、ヘルパーさんは私と同年代で、来る度に、Yにも挨拶してくれるのでYも挨拶するようになりました。
学童期には挨拶なんてしませんでしたが、よく関わってくれる男の子の丸坊主の、短い毛並みをなでなでするのが好きでした。
大変厳しい目にもあってきています。
昔は普通学級派と養護学校派で、親たちも思想で分裂し、先生たちも普通学級で障害児も一緒に過ごす統合教育派で凄まじい対立があったのです。
私は68才ですが、私より一回り上の世代の親御さんたちはそうでした。
私は思想的にはノンポリで、人は人、うちはうちのスタンスでうちの子には普通学級が必要と、
思っていたし、うちの子も普通学級が好きでした。とはいえ、巡り合わせで周りから阻害されている時は、ちゃんと不平を態度で表し、親として不憫でたまらない環境も経験しています。
適応できない場合は環境を何度でも、変える主義でした。孟母三遷の教えのように。孟子の母は、孟子に合う環境をと、三度環境を変えたという故事です。引っ越しも厭わず、すぐに決断して、引っ越して、見学三ケ所言って、面接を遠くから順番にこなし、本人も慣れたところで本命の幼稚園に行くというようにです。大阪府でも市が違えば校区が違えばぜんぜん対応が違うことをこのころ知りました。
幼稚園に決めていたけれど、保育園や保育所や民間保育にも面談重ねました。
一番受け入れ体制の感じられる幼稚園に決めて、それと同時に引っ越して入園に間に合わせました。
その前に療育センター退園後に行って民間幼稚園が失敗だったからです。

前の市では、障害児親たちのうわさで普通幼稚園には行けそうにない情報しか聞いてなかったです。それでも本人連れて面接した民間幼稚園が受け入れると言ってもらえたので入園しましたが、入ってみたら大変辛い環境でした。高めの通園料金支払ってあるのに、ことあるごとに福祉の一環で預かっていると言われました。加配の先生の分は赤字とか。
(そこまで言われたら居ずらいわ😠)
そこで引っ越しすることになったので退園します。と角がたたないように伝えたのですが、他所で悪口言うんやろとか嫌みさんざん言われました。多分メンタルに問題抱えた人なんだろうと思います。

そもそも療育センターでは普通保育園や幼稚園で引っ掛かった子が療育センターに斡旋されるのが常でしたし。
療育センターから養護学校小学部(当時の呼び方)にあがるのが普通でした。
うちの子は、完全逆コースです。いろんな担当さんと対話し説得した末に裏技使いました。その裏技は秘密です。もう時効とは思うけど。

療育センター斡旋の闇

うちの子が障害認定され療育センターに通うようになったのは、保健所の相談室からでした。自分から発達の遅れを相談しにいきましたが、配慮のない宣告でしたね。
廊下の待合室で電話の話し声が聞こえてしまったのですよ。
「一人回すから1人セーフになる」と。
あとからわかったのですが療育センターでは、障害児三人に職員スタッフ一人という配置で、障害児三人いれば、職員一人増えるわけです。
人数合わせで送り込まれるようです。うちの子が入れば加配が一人増えるという感じでした。

希望して入ったわけでないという先生になれなかった担当スタッフ

4月入園でなく10月から一人途中入園のYの担当スタッフの若い男性に
「自分は小学校の国語の先生になりたかったので、希望して療育センターに来たわけではない」
毎日の連絡帳にうちの子の様子をびっしり書くと、親御さんより多い文字数で書くように言われていて、あんなにたくさん書かれるとこちらは、しんどいからたくさん書くの止めて欲しいと言われました。
なんとやる気のない担当です。
多動児三人に担当一人でやる気のないやつって、
絶望的です。
うちの子はいつも、園庭の隅でだれにも関われられないまま、貴重な時間を過ごすわけです。
途中入園なので親子通園は認められていて3ヶ月通いました。自家用車で毎日です。そういう状況で園の相談員さんに相談を重ね、療育センターを止めて母子通園施設に通いたいこと、その後普通幼稚園普通小学校に通わせたいこと。
休みには京都まで発達外来に通い、ティーチプログラムのセッションを受けていることなど伝えて交渉を重ねました。
なかなか了解はえられなかったのですが、このままでは勝手に退園するだけになってしまうことを恐れてか。
誰にも言わないことを条件に、裏技使って母子通園に通えることになりました。そして私立幼稚園に通い、一年で辞め引っ越して公立幼稚園に通い。普通小学校普通中学普通高校に通うことになります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?