現実を見つめること
10月からアメブロをはじめてみてわかったことは、やはり、ディープなことはこちらのブログで書きたいってこと。
私の話は、どうしても霊的な話が入ってしまいます。
なので、遠慮せずにこちらでは、日記替わりに書かせていただきます。
そう、私の現実とは。
人間世界だけではなく、神界、霊界、冥界、幽界、魔界とわけていますが、異次元の世界も一緒だということ。
そして、地球だけでなく宇宙があり、そして自分があるということ。
なので、輪廻転生も当たり前に受け入れていて、魂の修行だと思っているので、死はこの世が終わる通過点であるので、考えるとしたらどういう意識で死ぬのか、くらいです。
幸も不幸もないので、与えられた生命をどう乗り切るかだし、試練が大きいとその圧力にわくわくはします。
霊がわかるようになってから25年くらいたちます。
霊の構造を知りたいと思い、若い頃に様々な次元に首を突っ込み、概要は理解しました。
本能のバランスを崩すと魔界に、感情のバランスを崩すと幽界に、知識や思い込み、洗脳が過ぎると冥界に、足を突っ込むことになると。
一方、神とよばれる次元の霊界には、愛と感謝の存在である菩薩的な神霊から、先祖で生まれ変わりを待つ守護霊の役割がある霊など、さきほどの黄泉的な世界でない霊の次元があります。空のあたりの距離感です。
その上には神界があり、宇宙の光のような存在である高次元の存在。わたしたちの魂の次元も同じ次元に本来はあります。
この、次元と空間と時間を生きている間に、行き来できるようにするには、どうしても生きている間に、そのことを把握し、死ぬまでに少なくても、冥界以下の領域を潜在意識から排除しておきたいなと思ってしまいます。
もちろん、好きなように生きればいいし、修行なので、体験こそが全てだと思うのですが、やみくもだと魔界に突っ込んでいく感じがするので、それは試練として乗り越えるゲームと考えた方が、私は好きなようです。
その方が、死後に幽界あたりを何百年もうろうろせずに、新しい時代で楽しい時間が過ごせるような気持ちにもなります。このあたりの選択は自由なんでしょうね。
ただ、大事だなと思うのは、この現実を受け入れて、自分を見つめないと、ただ、人間の世界の成功や幸福だけを信じて生きてしまい、生まれてきた理由というか、使命を果たせないこともありえるので、広い次元があることは知識としてでもいいから、頭にいれておいたほうがいいように思いました。
この冥界以下の世界のことを、なるべく、用語を使わないように説明しないと、おそれをもったり、気持ち悪がったりする人がいるので、違う言葉で説明したいのですが、ネガティブに感じること自体が潜在意識に恐れがあるということなので、知識として平気になるのも大切なのでしょう。
でも、できれば使わずに、思い込みの世界、感情に支配された世界、本能に支配された世界というように説明した方が、わかりやすいのでしょうね。
しかし、この3つの世界は、人の思考や感情や本能なので、誰でもがもっています。ただバランスが崩れたら、黄泉意識=魂を阻害する意識になるということなので、意識してクリアにしていくことで、魂は輝いてきます。
魂の輝きは、輪廻に大きく関係することであり、死後の世界を決定します。
これだけの話なのですが、本当の意味で理解する人は少なく、潜在意識上の明るい気分だけを重視している人が多いように気がつきました。
精神的に自立することで、魂は守られます。
私の活動は、全てこの自立して魂を輝かすことに30年の体験を費やしてきました。
黄泉の体験を潜り抜けてきたからこそわかるので、人生の体験と行動は大事だと思っています。そのため、言葉でわかることは理解しかできないのですが、それすら流行りの流れと違う考え方だと気がついたので、書いてみようと思いました。本当の現実を受け止められるのか、それが生きていく上で大切なことなんだと思います。引き寄せてくる幸運は思い込みなら反動はきます。現実は思い込みではありません。
他に、書きたいことは、神社や神事、儀式、古事記など、宗教的なことに潜む、人間の霊的世界を書いていきたいと思います。
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