見出し画像

呪術

今日は、久しぶりに知り合いと電話をしていたら、祈りと祈祷と呪術って、どこが違うの?と聞かれました。

イメージはすごく違うように思いますが、いざ説明となると、表現力のない私は言葉につまりました。

祈りは、自分自身で心と向き合い、そして守られるように、など神や仏に祈るイメージです。誓うイメージもあります。安らかな境地で祈るというイメージです。

祈祷は、神社などで専門家にしてもらうもので、願いごとを叶えるために、儀式をして神様に頼むイメージがあります。

呪術は、祈祷と似ている部分もあるのですが、どちらかというと、神様に頼めないような欲深い願いや、自分本意の願い、下手をすると他者に復讐など災うような願いなど、あらゆる願いを請け負ってする祈祷というイメージです。

神社の祈祷は神様にですから、清いイメージがありますが、呪術となると、汚れ役というか、自分の代わりに怖いから祈ってよ、みたいな、古代は奴隷がしていたかもしれないような役割を想像してしまいます。

私は呪術の研究家であり、専門家なので、あらゆる呪術を研究してきましたので、そんなことを?という意味で「変人」と今日も言われましたし、何故そのようなことに興味があるのか疑問をもたれました。

理由は簡単で、何故、そんなことをするのか、という素朴な疑問からです。

特に、人間の負や悪の行動に興味があるのと、死とどのように関連するのか、死んだ後はどうなるのか、などを解く鍵だったと思います。

人が発する妬み、嫉妬、文句、怒り、殺意などいろいろありますが、それらが呪術を使ってもという気持ちに発展して、頼むわけだけど、きっと死後は幽霊になったり魔になったりしていると思います。

そして、そんな地獄のような世界で、400年もいたら後悔するだろうなと思ったのです。

研究の結果、人の欲望の恐ろしさを知ることができたので、ネガティブな恐れや不安の正体を知ると、希望が見える構造を理解しました。

呪術の話は、私が今、阿波忌部の呪の構造に興味をもっていて、鎮護国家につながる四国のしかけを研究中なのですが、そのことで、何故それが呪術なのかを問われたことからはじまりました。

私にとって、日本を守るために、怨敵退散などの願いが入るなら、それは呪なので、やはり呪術だろうという見地からです。

また、四国では、そのための人柱なども有名ですので、そのあたりを説明するのに、呪術といった方が適格だと思ったのです。

人の作り出す想念の世界は、美しくも醜くもあり、様々です。

より美しくを意識しないと、ブース別によりわけられるような世界が待っているように思います。

なので、祈りだけの世界に移行するには、ネガティブを無視しないで、すみやかなクリアリングが必要でしょう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?