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自覚するということ〜アカツキで過ごした5年3ヶ月のまとめ〜

この記事を読んでほしい人

  • これまでアカツキで一緒に働いてきた仲間たちへ向けて

  • 半年後の自分に向けて

この記事で伝えたいこと

  • 豊村がアカツキでの5年間で感じたこと、得られたと思うこと

  • 関わってくれた仲間への感謝の気持ち

自己紹介

みなさんはじめまして。アカツキ福岡 人事の豊村です。

アカツキの子会社である「アカツキ福岡」で人事企画領域(主に評価・育成など)を担当しており、人事歴は4年半になります。

アカツキ福岡については、こちらにたくさん記事を載せているので、ご興味あればぜひご覧ください!
https://www.wantedly.com/companies/aktsk

そして実は私、2022年10月末付でアカツキ福岡を卒業(退職)しました
(この記事は卒業1週間前の10月下旬に書いています。)

私は2017年に入社し契約社員として5年、個人業務委託契約で3ヶ月、合計で5年3ヶ月の間アカツキ福岡で仕事をさせてもらいました。

今回は卒業するにあたって、この5年3ヶ月で得たことと、お世話になった方々への感謝を伝えたいと思い、この「アカツキアドベントカレンダー2022」に参加しました。
運営のみなさん、卒業後の自分を受け入れてくださってありがとうございます!

アカツキ福岡で何をしてきたか

前述したとおり、私はアカツキ福岡で4年半人事をしてきました。
その中で人材育成・人事評価、組織開発などを行ってきました。
人事未経験から始めてアカツキ福岡創業期から現在まで、人事としてアカツキ福岡と共に歩めたことは、私にとってとても幸運で貴重な経験でした。

具体的には、人事制度の導入からはじまり、文化づくりや、組織状態サーベイの実施、360FBの実施、人材育成周りの研修企画・運営、メンバーのキャリア支援など、たくさんの仕事を経験させてもらいました。


アカツキでの5年間を一言でいうと

卒業まで残り1ヶ月に迫ったある日、アカツキ内の尊敬する人事の先生との1on1で「アカツキでの5年間を一言でいうと何になる?」という問いをもらいました。
あまりにも難しい問いだったのでそのときに即答はできなかったのですが、その問いに向き合う中で改めて自分の5年間を振り返ることができました。

まず思い浮かんだのが「自覚」
次に「挑戦」
さらに潜って「青春」
という3つのキーワードが思い浮かびました。

いただいた問いが「一言でいうと」だったので、敢えてひとつに絞って、最終的に最初に思い浮かんだ「自覚」に着地しました。

私にとっての「自覚」とは

「自覚」という言葉を辞書で引いてみるとこんなことが書いてあります。

自分自身について、はっきりと知ること。
 └自分の状態・地位・任務・価値がどんなものかを、よくわきまえること。そのわきまえ。
 └自分で感じ取ること。

私が自分のアカツキでの5年間を「自覚」という言葉であらわしたのにも、辞書の通り2つの意味があります。
ひとつめは「自分の任務、価値をわきまえること」
ふたつめは「自分の状態を自分で感じ取ること」


それぞれについて書いていこうと思います。


自分の任務、価値をわきまえること

会社=自分であるという自覚

アカツキ福岡で過ごす中で「会社=自分」なのだな、という感覚を持ちました。

私はアカツキ福岡(当時は子会社化していなかったので、アカツキ福岡オフィス)創業期に、18人目のメンバーとして入社しました。
当時は、人事制度はもちろんのこと、オフィスの利用ルールや福利厚生など、何もかもが「これから創っていこう」という段階でした。
事業についても、当時は本社で行っていたCS・QA業務の一部を福岡に移管し、本社と共に稼働するような事業形態だったので、福岡のメンバーが本社から期待されているバリューを出せなければ、福岡拠点はクローズとなり「アカツキ福岡オフィス」が無くなってしまう…!という厳しい状況の中にいました。

そんな私たちに、当時の福岡拠点のリーダーはこんなことを伝えてくれました。
「自分たち一人ひとりが ”会社”。もし今、会社が無くなったら自分のせいだと思えるくらいの覚悟でやれているか」
約5年前のことなので当時の記憶は段々とおぼろげになっていっていますが、入社直後に聞いたこの言葉は私にとって衝撃的だったのでよく覚えています。
そして当時は、本社の先輩メンバーも含め複数人から同じような言葉を何度も耳にしました。

それまでの私は「会社」という言葉が何を指すのか、あるいは誰を指すのかを考えたこともありませんでした。
例えば「会社、もう少しお給料上げてくれんかな〜」とかいう言葉をつかうときは、なんとなく「会社=社長」とか「会社=部長クラスの偉い人たち」をイメージしていたかもしれません。

そんな当時の私を象徴するエピソードがあります。
アカツキ福岡に入社した初日に、アカツキ歴が長い先輩メンバーと雑談をする機会がありました。(たしかウェルカムランチをしてもらった時のお店からの帰り道)

私は何気なくこんなことを聞きました。
「福岡も本社みたいに出産後しばらくは時短勤務とかできるんですかね? もし無いなら、未来の私が出産するときまでには、制度ができていて欲しいな〜」

すると、こんな切り返しがきました。
「今あるかわからないけど、とよむは人事がしたいって言ってたよね?(当時私はCS配属での入社でした)それなら、自分で制度作れば良いじゃん」

想定外の言葉に、私は回答に詰まり
「・・・あ〜〜〜なるほど〜〜〜。そんな感じなんですね〜〜〜〜」
と、気の抜けた返事をしたことを覚えています。

このときの私はまさに「会社=社長」「会社=部長くらいの偉い人たち」だと、無意識にイメージしていたのだと思います。

みなさんは今自分が働いている「会社」を語るとき(特に批判や要望を訴えるとき)、そこから「自分」を排除してしまっていることは無いでしょうか?
会社の一員であるはずの「自分」を第三者的な立場に置いて、外から語っていることは無いでしょうか?

私自身、アカツキ福岡に入社する前までは規模の大きい会社でしか働いたことがなかったので、組織を創るという感覚や経営視点のようなものを感じ取り辛い環境だった、ということが要因のひとつにはあると思います。
しかしながら、「会社」という言葉をつかうときに誰を・何を指しているのかさえ考えたこともないまま、時に「会社」に対する不満や要望を言っていたこともありました。

アカツキ福岡で過ごす中で、「会社」という言葉の中にその会社の社員である「自分」を入れて会社を語ることが当たり前になったことは、自分にとって大事な変化でした。

責任を全うする覚悟、人事責任者としての自覚

次に、「責任」の話をしたいと思います。

入社からしばらくして、私はCSから人事に異動しました。
人事になった経緯の話は昨年のアドベントカレンダーに書いたので、もしよければご覧ください。

正式には「人事企画」という職種への転換で、人事企画担当者は私ひとりでした。いわゆる”ひとり人事”なので、当然人事周りのオーナーは自分ということになります。

とはいえ当時の私は素人人事…。

冒頭に書いたように、のちのち人材育成や評価制度の企画・運用などをやっていくことになるのですが、当時の私はそれまで採用や労務のオペレーション業務の程度の人事経験しか無かったため、何から手をつけたら良いのかわからない状況の中、諸先輩方の助けを借りながらなんとかやってきました。

そんな私がこれまでアカツキ福岡で人事として仕事をしてきた過程で、自分の中に芽生えたものがあります。それは「責任を全うする覚悟」です。

そんなの、仕事をする社会人として当たり前じゃないか!と言われてしまえばそれまでなのですが、私がちゃんと自分の「責任」に向き合えたのはおそらくアカツキ福岡での仕事が初めてでした。

実際には、学生時代からよく「クラスの活動にも責任感を持って取り組んでくれています(@通知表のコメント)」「いつも真面目にやってるね〜(@居酒屋バイト)」というような、責任感ありげなフィードバックももらっていました。

なので、おそらく自分の仕事に「責任感」は持てる人間なのだと思います。
でも「責任を全うする覚悟」までは持てていなかったなと思います。

これまでの自分は仕事に責任感は持っているつもりではいるものの、何か問題が起きたら「最後は上司がどうにかしてくれるだろう。」と心のどこかで最終的な責任を他者に委ね、ある意味で決定的な場面からは逃げながら仕事をしていました。

ところが、アカツキでの仕事はそうはいかなかったんです…。
「自分が動かなければ状況は変わらない。誰かがやってくれるわけではない」という状況で日々戦う中で、段々と「この会社の人事は私ひとりなのだ。最後まで【私が】何とかするしかないんだ。だから、やろう」という覚悟を持って仕事に向き合うようになりました。
(ベンチャー企業で、かつ人事が自分ひとりの状況だったので、環境によるものも大きかったと思います)

正直、「【私が】何とかせねば」というパラダイムの中で戦っている道中で、とにかく何でも自分でどうにかしようとして、途中で息切れして全ての仕事が嫌になってしまったこともあります。
(もともと人に頼んだり、巻き込んだりするのが苦手な節も相まってしまい…)

そこで気付いたことは、最初から最後まで自分だけの手で何とかすることが「責任を全うすること」ではないこと。
目的が達成できるのなら途中で周囲の助けを借りてもいいし、極端にいうと自分がやらなくてもいいこともあるのだ、ということでした。
ただし、自分は最後まで主体者として立ち続けられていることが「責任を全うする」上では大事なことなのだと思います。

今考えると、責任を全うする覚悟を持って仕事に取り組むことは、イコール、アカツキ福岡の人事は自分だという役割の自覚を持って働くことだったのかなと思います。


“自分”を感じ取ること

自分の中の”自分”の状態を自覚する

突然ですが、少し前にSPI2を受検してみました。
性格検査で最も点数が低かったのが【内省性】で、80点満点中35点という低さ加減…。

しかし私はこの結果に特に驚くこともなく、「ああ、まあ、そうだよね」と納得をしました。
実際私は、物事を深く考え込んだりすることは少なく、「よし!一旦やってみよう!」とまずは行動してから検証していくタイプだと自認しています…。

それは自分の状態(感情や体調など)に関しても同じで、一度立ち止まって自分自身に向き合うというような時間を取ることはあまりなく、その時々で求められている動きを全うすることや、周囲の状況に自分を合わせて過ごしてきました。
なので、ふと糸が切れたように疲れてしまうこともありました。

あるとき、1on1をしてもらっていた方に「私から見るととよむは今しんどそうだから、今自分しんどいんだなって自覚しておいた方がいいと思うよ」というフィードバックをもらいました。
自分自身はっきりとは自覚していなかった、というか、自覚したら止まってしまいそうで怖かったのでわざと見ないようにしていたんだろうな、と思いました。

そこから、自分の中の”自分”を観察し「いま私辛いんだな」「いま私楽しいんだな」というように、自分の状態や感情に意図的に向き合うようになりました。
そうすると、徐々にではありますが、辛いときに周囲に「助けて〜」と言えるようになったし、自分がやりがいを感じやすい仕事がどんな仕事なのかも見えてくるようになりました。

自分で”自分”を認め、状態を自覚した上で仕事をする方が、イキイキと働けるし結果としてバリューも出しやすくなるなと思っています。


さいごに

アカツキ福岡・アカツキの仲間や仕事との出会いのおかげで、いろんな自分が見えてきました。

「アカツキでの5年間を一言でいうと何になる?」という問いに対して「自覚」という答えを持ってここまで述べてきましたが、他に思い浮かんだ「挑戦」「青春」というキーワードについても大事な気付きとして持っておきたいと思っています。

アカツキで任せてもらった仕事の全てが自分にとって初めての挑戦で、その挑戦を熱く、温かく支えてくださったみなさんに心から感謝しています。
アカツキで関わった人たちのことが、人間として大好きですし、尊敬しています。

また、大人たちが全力で仕事に向き合って心から悔しがったり喜んだり、社内イベントで全員で大笑いしたりするアカツキでの5年間は私にとっての青春でした。
仕事の帰り道に「私、青春してるな〜」と思ったことが何度もあります。
充実した時間を本当にありがとうございました。

最後に、一緒に仕事をしていたアカツキCAPSチームで大事にしていた言葉を自分に贈ります。

“ Wherever you are, we are CAPS(Akatsuki)!! ”

どこにいてもアカツキの魂を忘れず、これからも頑張ります!
これまでアカツキで関わってくれたみなさん、本当にありがとうございました。

この記事は、『アカツキグループ人事アドベントカレンダー』 の 7日目の記事です。 前回は安納さん の「育児休業なるものを取得してみて」でした。
アカツキグループ人事アドベントカレンダー
【 クリスマス限定 】12月1日〜12月25日にかけて、毎日更新、アカツキグループでヒト・組織にまつわる業務に従事する人事たちが、リレー形式で投稿します。
記事を読んでアカツキが気になった方は、ぜひこちらのHPへ遊びにきてください。▶︎ https://aktsk.jp/recruit/