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立岩真也を継ぐ人々のために


#READYFOR #クラウドファンディング
 「障老病異アーカイブズ・プロジェクト――立岩真也所長の遺志を未来に――」に寸志を送った。去る2023年の夏の日、賃金労働の休憩時間にスマートフォンで、立岩真也の訃報を見た瞬間の衝撃は忘れがたい(思わず声を出し、どうしたのかと人に怪しまれた)。心の支えを失ったような虚脱感のなかで考えたことは、故人が立ち上げた立命館大学生存学研究所は、今後どうなるのかということであった。恐れていたことは現実になりつつある。同研究所のプロジェクトが、経済的に危うくなっているという。私自身の生存にも直結することゆえ、協力することにした次第である。

 生存学研究所のウェブサイトを訪れたことがあるだろうか。そのトップページには、こう謳われている。

病い、老い、障害とともに生きること。異なりをもつ身体。
それは、福祉や医療の対象である前に、人々が生きていく過程であり、生きる知恵や技法が創出される現場です。
人々の経験を集積して考察し、社会との関わりを解析し、これからの生き方を構想し、あるべき世界を実現する手立てを示す――それが「生存学」です。

ritsumei-arsvi.org

このような貴い研究所が衰微してよい道理はない。

 トップページのバナーから飛べるarsvi.comの充実ぶりはものすごい。障老病異に関わるありとあらゆるデータがアーカイブされている。例えば過去に誰かの「精神病院は牧畜業者」という発言があったことを、なんとなく知っている人がいるとしよう。その人が「牧畜業者」でサイト内を検索すれば、いくつもの記事がヒットする。それが日本医師会の武見太郎会長の発言であり1960年になされたことや、その発言が呼び起こした数々の反響が、出典の書誌事項とともに次々と明らかになる。この分野に関わる(関わらない人が誰かいるだろうか?)当事者や研究者にとっては、すでに必須のインフラであるといっても過言ではない。いかにしても存続してもらわねばならない。

 最後に私が読んできたいくらかの立岩本について記しておきたい。私はかつて障害者の当事者活動のようなことに加わっていた関係で、立岩真也を読まざるを得ない立場にあった。最初に読んだのは『弱くある自由へ 自己決定・介護・生死の技術』(青土社 2000年)であったが、ずいぶんとぐねぐねした文章を書く人だと思った。『造反有理 精神医療現代史へ』(青土社 2013年)は、活動に直接関わる文献として活用した。だが私にとって決定的に立岩真也が心の支えとなったのは、2016年のあの事件に際してであった。『現代思想』2016年10月号(青土社)は、相模原障害者殺傷事件の緊急特集号で、そこに立岩も寄稿している。事件の背景をなす歴史的な経緯を冷静にたどるその文章は、しかし明らかな怒りを秘めていた。この人は味方だと、そのときはっきりと思った。

 これから立岩本を読もうとする人には、最初に『増補新版 人間の条件 そんなものない(よりみちパン!セ)』(新曜社 2018年)を薦めたい。中学生向けに書かれた平易な言葉で、立岩が社会学を志した経緯や関心の所在が記されている。その次は一挙に主著である『私的所有論 第2版』(生活書院 2013年)に飛び込むのがよい。圧倒的に浩瀚な本であり、その内容の充実ぶりは、最初の著作(初版は1997年)にして一生分の仕事を果たしたと評されるほどである。これを突破したら、あとは各々の関心に応じた本を読めばよいと思う。

 異なりを抱えながら、それでもどうにか社会と呼ばれるものに適応しようとしたり、時にはそれを変えようとしたりしてもがくなかで、私はどうしようもない徒労感を覚えることがしばしばある。この「徒労」とか「徒労感」とかいう語は、立岩本のなかにしばしば現れる。そのような文章のなかで、私が生きる指針にしているものを紹介してこの記事を終えたい。

現実に生じるだろう様々な徒労を、何かができなかった私への悔恨として屈曲させず、他者が他者として生きることの方へ指し向けていければ、押し潰されずに、私も、その他者も生きていくことができるはずだ。

立岩真也『私的所有論 第2版』生活書院 2013年 704頁

徒労感に苛まれながら、それでも立岩真也の生存学を継いでゆく人々のために、私は私なりにできることをしようと思った。