才能が欲しい話

 私にはこれといって傑出した才能はない。
勉強もゲームも中途半端なまま20歳手前まで生きてきてしまった。器用貧乏と言えば聞こえは良いが、聞こえが良いだけで何の肯定感も生まない。

 そもそも才能がある人間には才能があるという才能がない人間が考えた言葉など気にしてなんかないのだ。また、才能がある人間に才能があると言うと彼らは皆こう言うだろう、才能ではないよ、努力の結果だ、と。
 確かに努力していることは確かだ。しかし才能がない私が全く努力をしていないなんてことはないのだ。確実に天才と凡人では同じ努力量でも結果が歴然としているのだ。

 よく努力の天才という言葉を聞く。意味としては多大な努力をしたから良い結果が得られた人のことを差す。私はこの言葉に疑義がある。才能がなくても努力したからそれ相応の結果が得られたんではなく、才能があるから結果に見合うような努力ができたのだろう。そもそも努力と良い結果がセットになることが難しいのに、才能のない人間の部類に位置しているのはおかしい。

 書くのに日を跨ぎ過ぎて結局何を書きたかったか忘れてしまった。しかし、才能があることで人々はその才能を使ってメイクマネーできる。つまり、才能は金になるのだ。
このようなことばかり考えているから才能が生まれないのだろう。それは自分でもわかってる。

でも、才能…欲しいなぁ…、、、、、、、

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