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函館市民ミュージカル2022「はこだてRap So Day」・・・そして1986「Again」


2022年11月13日(日)14時〜、函館市民会館にて行われたミュージカル「はこだてRap So Day」を観劇しに、東京から1泊2日の弾丸日程で函館に赴きました。
函館は2013年のミュージカル「伝言」以来早9年ぶり。
この舞台は、11月3日〜13日に函館市教育委員会他の主催にて開催された、令和4年度函館市民文化祭のフィナーレとして位置づけられています。

この作品の特徴は、函館市在住の障がいを持った方達を中心に作られたオリジナルであること。
主役シズ役の池田サラジェーンさんは生まれつき全盲。
ヨッチャン役の小学5年生・中村楓果さんは元聾唖者で、人工内耳手術で聴力が回復した方。
それがそのまま配役の設定になっています。
他の参加者も、養護学校、特別支援学校、盲学校、聾学校の生徒達を中心に、函館少年少女合唱団、函館ダンスアカデミー他のメンバー80余名が協力し合って作りあげた、ただ一度の舞台でした。

原作・演出は、フブキ役として出演もしている高島啓之氏。
振り付けは、函館ダンスアカデミー代表で文化祭実行委員長でもある、島崎啓子氏。
音楽は、作曲家で私の恩師でもある佐々木茂氏、函館在住のミュージシャンで音響担当でもある桑原克幸氏、そしてこの僕の3名が受け持ちました。

チラシ表
チラシ裏

たった一度の舞台がもったいないほどクオリティが高く感動的な舞台でした。
何といっても主役池田サラジェーンさんの、透き通った美しい声の素晴らしさ!
それをサポートする高橋愛音さん、相田日芽さん、土橋アミさんの歌唱力。
これは東京で、いやニューヨークで公演してほしい、もっともっと多くの方に観ていただきたい作品です。

障がいを持つ子ども達は、函館山に咲く「花」役としてステージを彩り、この手のステージにありがちな「学芸会」レベルの取って付けの役などなく、全てが必然で無駄のない演出で、全く飽きさせないスリリングで深いストーリー展開です。
背景のスクリーンにも工夫が凝らされ、函館の美しい風景も映し出され、聾唖者の観客のために全てのセリフがキャプションで確認できます。
また、聾唖者が音楽を楽しむ手段でもある「ボディパーカッション」も演出に積極的に取り入れられ、キャストだけでなく、オーディエンスも一緒に振り付けを覚えて参加し、一体感を高めています。
何より、この舞台にかける出演者達の楽しく熱い想いが伝わり、観劇後にはジーンとあたたかい空気が会場を包み、こちらも涙がこぼれました。
今まで観てきた歴代の「函館市民ミュージカル」で感じた、初めての感覚です。

ネタバレしない程度にストーリーを紹介すると・・・
函館に暮らす仲良しの子ども、全盲のシズ、元聾唖者のヨッチャン、そして健常者のケイの3人組が函館山へ出かけ、そこに咲く福寿草、エンレイソウ、ヒトリシズカ、ハマベンケイ(ルリン)と出会い、それを盗もうとする花泥棒をやっつけ、花を救い出すのに成功します。
花の精は不思議な力を使って子ども達とコンタクトを取り、函館に伝わる「義経伝説」を伝えます。
遙か昔、義経を探しはるばる函館山にたどり着き、義経を待ち続けている間に「ヒトリシズカ」の花の精と化してしまった静御前と、「ハマベンケイ」の精となった弁慶の魂。
彼らは子ども達に、海の奥底に捕らわれているらしい義経の魂を探し出し、解放してほしいと願いを託します。
さて彼らは、無事に義経を見つけることができるのでしょうか?
・・・というものです。

僕が手がけさせてもらったのは、全13曲中3曲。
花泥棒と戦うロックなインスト曲M5「戦い」。
謎のミュージシャン・フブキが子ども達にボディパーカッションを教えるM9「ブルームーン」。
そしてクライマックスに歌われるM12「飛んで行くよ」。
M9は、名曲「ムーン・リバー」のイメージで、ナイロンギターとジャンベのみでアレンジしてみました。
またM12は、義経伝説ということもあり敢えて5音音階(ペンタトニックスケール)でメロディを作り、演歌ぽくならないようにコード進行を工夫しています。

この音楽制作のオファーを佐々木茂先生より電話でいただいたのが今年の3月。
音楽制作チーフである桑原氏と連絡を取り合いながら、およそ2ヶ月をかけ作り上げました。

本番を観るまで、他の楽曲との整合性がわからず不安でしたが、今回は作者3名のキャラクター、スタンダードでクラシックな佐々木作品、ポップでキャッチーな桑原作品、そしてロックで実験的な明石作品が有機的に作用し、バランスの取れたセットリストになったのではないでしょうか。

特に今回、恩師である佐々木先生の作品群はある意味先生の集大成的な意味合いも感じられ、函館市民なら一度は歌ったことのある名曲「海です」(桑原氏による秀逸な今風のポップスアレンジが素晴らしい!)を初め、ナイーヴで優しくピュアであたたかい師の作品達をあらためて堪能する機会に恵まれました。

実はこのミュージカル、企画が走り出したのは3年前。
2年前に上演予定でしたが、いわずと知れたあの「コロナ禍」によって延期を余儀なくされたものでした。
しかも多くの団体が参加するということで、稽古の時間も制限され、ここまで来るのにキャスト・スタッフはかなり多くの変更や苦労を強いられたことでしょう。
本番の日を迎えられた喜びも、またひとしおだったでしょう。
(逆に短い時間で集中し楽しく稽古ができたおかげで、参加者のポジティブな空気感が作りだされたのかもしれません。)
皆さんに大きな拍手を送りたいと思います。

さて。
僕とこの「函館市民ミュージカル」との関係は、とても長いものです。
今から36年前の1986年、僕が母校、北海道教育大学函館校の4年次。
1年間のアメリカ留学から戻り同校に復学した5月に、当時音楽教授で1年次の担任だった佐々木茂先生から、今年より始まったプロジェクトを手伝ってくれないかと打診を受けました。
それが、第1回函館市民ミュージカル「Again」への参加だったのです。

当時、漁業や造船業が衰退していた函館市が、観光都市へと舵を切るために積極的に「観光の目玉となるような」文化事業を育成していこうという市の思惑もあり、予算が付いた事業でした。
それまで市内であまり横のつながりもなく活動していた劇団、ダンススクール、楽器店、合唱団、NHKのアナウンサー、そしてアマチュアミュージシャン達がオーディションで選ばれ、一同に回することとなったのです。
それが、思いがけないハレーション効果を起こすことになります。

函館の地で長年アマチュアバンドの祭典「はいからコンサート」を定期開催し、市内にバンド文化を根付かせ、グレイやJudy & Mary といったプロを輩出するほどバンドの質を高める功績を残した「伝説の」楽器店、サウンドパパ。
その店長・吉田正人氏の元へ僕は放り込まれ、同店にあった当時最新鋭の機材、ドラムマシンやMIDIシーケンサーを使って楽曲のアレンジをすることとなりました。
吉田さんとは大学1年の時の学祭で声をかけられて以来とてもかわいがってもらい、当時僕が組んでいたバンド "FLASH" を上記はいからコンサートに出演させてもらったり、店で新しい楽器やエフェクターを試奏させてもらったりしていたのです。
僕が参加した時点で、熱狂的なビートルズフリークでもあり、ソングライターでもあった吉田さんは、このミュージカル「Again」のために既に何曲か作曲を終え、キャストによる歌の稽古も始まっていました。
そんな中、勝手にキーやメロディやテンポを変えてしまった当時の僕は、今顧みるに実に失礼で無礼な若造で、多くの方々に多大な迷惑をかけてしまい、穴があったら入りたいほど恥ずかしいです。
そんな自分をよくもまあ暖かく見守って下さり、無謀なアレンジにOKを出してくれた吉田さんには、今も頭が上がらず、ただただ感謝しかありません。

また一方で舞台のキャストもやることとなり、バックコーラス兼「群舞」の一因として、ダンスレッスンも受けることとなりました。
それまでダンスとはとんと無縁だった自分。
初日の基礎練習で、今まで使ったことのない筋肉を動かすこととなり、次の日は全身筋肉痛で起き上がれず、全日講義を休んだ記憶があります。
その厳しいダンスの基礎を教えてくれたのが、今回のミュージカルの振り付けをした、函館ダンスアカデミーの島崎先生。
半年を過ぎる頃には、激しい振り付けをしながら息切れせずに歌を歌えるようになりました。
ここでのジャズダンスとの出会いは僕に新たな可能性を開かせ、今まで書くことがなかったダンスチューンを作曲する大きなきっかけとなり、やがて訪れるユーロビート、ハウス、そして現在のEDMにつながるダンスミュージックを理解するのに必須の体験となりました。

1987年、函館ダンスアカデミーにて島崎先生と


こうして1986年11月3日、函館市民会館にて「Again」はたった1日、マチネとソワレの2度の幕を上げ、大評判のうちに成功を収めました。
「Again」は、函館に住む様々な若者がミュージカルを成功させるために頑張るという、まさにリアル劇のストーリーで、当時の函館市長も自分役で出演、劇中でスピーチをするという斬新な脚本でした。
ちなみに僕は、将来プロのロックミュージシャンを夢みる学生、まさに自分自身の役で、自分のエレキギターを担いて参加しました。
(そうそうこの時はまだ、「赤の時代」だったのです〜!)

この時に高校生で参加していたのが、その後市内で音楽と演劇の活動を始め、今回の原作を書くに至った、高島啓之君です。
今回久しぶりに邂逅を果たし、短い時間でしたがお互い変わってしまった外観に苦笑しつつ、握手を交わしました。
この「Again」を通して他にもたくさんの恩師や友人、そして函館とのパイプができ、それが今までつながっていることが嬉しく誇らしいです。
そしてこの「横のつながり」は僕だけではなく、函館市内の民間団体が友情を育むことで、後年様々な文化事業につながっていくことになります。

この10年後の1996年、「Again」の同窓会が函館で開かれた時に僕も参加し、当時の友人達と再会しました。
その時、当時のキャストが「その後の自身」の役で再びミュージカルを目指す「Again II」をやろうという構想がなんとなく上がりましたが、残念ながらそれは現在も実現していません。
おかげさまでこうして僕は東京で、(当初のイメージと規模は違うものの)プロの作曲家になり、なんとか食っています。
その後、この函館市民ミュージカルの楽曲制作スタッフに加わるようになり、青山真理子先生脚本の「案山子物語」「伝言」「函館ウエストサイドストーリー物語」に楽曲提供しています。

久しぶりに来函する僕のために、佐々木先生、サウンドパパ吉田さん、そして島崎先生が、明日の準備で忙しい中、公演の前日にささやかな食事会を開いてくれました。
皆さんがまだまだ現役でそれぞれの役職を全うしていることは大きな励みになり、まだまだがんばらねばと思った次第です。
そしてこうして暖かく自分を迎えてくれる場所があるということが嬉しく、ひたすら感謝しかありません。
今回は子ども達を連れての弾丸日程で、他にもっと時間があれば会って話をしたい人達がたくさんいましたが、それはまた次の機会を待ちたいと思います。
いろいろありがとうございました!

前日に久しぶりに登った函館山は、相変わらず美しかったです!


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