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The Fallen Priest / Freddie Mercury & Montcerrat Caballe に関する考察

この文章は2019年12月、Facebookのノートに投稿したものですが、その後新しい資料で新事実が次々解明されたため、改稿をして再公開いたします。

特に、先日(2022年1月)に発売された「クイーン 誇り高き闘い」(シンコーミュージック刊)は、クイーンファンクラブ会長ジャッキー・スミス氏と、アーカイヴィストのジム・ジェンキンズ氏が編纂した渾身の第一級資料で、1995年の初稿のミスを直し3倍以上に大幅加筆されたものですが、この本の詳しい記載によって本稿の正しい事実が判明しました。クイーンを深く知りたい方は必読の書です。


クイーン 誇り高き闘い (As It Began)


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1988年にリリースされた、クイーンのフレディ・マーキュリーと、オペラ・ディーヴァのモンセラ・カバリエの革新的なデュエット・アルバム「バルセロナ」。

「バルセロナ (オーケストラ・ヴァージョン)(SHM-CD)」フレディ・マーキュリー (Amazon)


この中の1曲 "The Fallen Priest" は特に僕がこよなく愛する1曲です。
作詞は英国ミュージカルの巨匠、ティム・ライス。曲はフレディと、1986年のミュージカル "Time" で知り合って以来彼のよき仕事のパートナーとなった「打ち込みのできるピアニスト」マイク・モランとの共作。


The Fallen Priest (New Orchestrated Version)


ある調べ物をしようと久しぶりに、2000年に発売されたフレディ・マーキュリー・コレクションという9枚組のBoxセットから、貴重なデモテイクが収められている3枚の "Rarities" をチェックしていたところ、解説書にクレジットされている楽曲の制作年月日が、この曲のデモだけやけに早いことに気づいてしまいました!

オフィシャル記録本 "As It Began" (旧刊)には、フレディがモンセラとコラボするために最初に作った曲は "Exercises in Free Love"(後の"Ensueno")と、"Barcelona" の2曲だったとありますが、実は "Barcelona" ではなくこの "Fallen Preast" だったのではないか?という疑問が生まれてきたので、これを検証してみることに。

(追記:その後同書改訂版にてこの記述が直され、私の推理は正解だったことが判明しました。しかしさらに、"Excercises〜" は元々モンセラのために書いた曲ではなく、偶然このタイミングで書かれたものだったこと、さらに、モンセラ用にこの時 "Guide Me Home" も書かれていたことも明らかになりました!)

"As It Began"の他に、ライブ記録 "Queen Live"、恋人ジム・ハットン著 "Mercury & Me"、そしてこのコレクション付属のライナーを資料に、日付を確かめながら進めてみます。

フレディがオペラに開眼し、モンセラ・カバリエの大ファンになったきっかけは、1984〜5年頃、ロンドンのロイヤル・オペラハウスにて、パヴァロッティと共演していたモンセラを観たこと。

1979年、英国立バレエ団からヘッドハンティングされて彼のパーソナルマネージャーとなったピーター・フリーストーン(通称フィービー)はモンセラのCDをコンプリートしていて、プライベートな時間にフレディはオペラの登場人物や物語についてフィービーに訪ねながら何時間も過ごしていたようです。

1986年8/1、クイーンのマジック・ツアー、バルセロナ公演時に受けたテレビ番組のインタビューで、フレディは「モンセラ・カバリエに会いに来た。彼女とぜひ会いたい」と(ジョークで)話し、それをカバリエ本人が聞くところとなります。

2012年のBBCの番組 "The Great Pretender" (邦題『素顔のボヘミアン・ラプソディ〜フレディを演じた男』)のモンセラのインタビューで、彼女は以前からクイーンを知って(聴いて)おり、「好きだった」と語っています。そしてその番組を偶然観て、フレディが自分の名前を出していたことに驚き、数ヶ月後、マネージャーであった彼女の弟カルロス経由でクイーンサイドに「会いたい」と連絡を取ったのでした。

同年8/9、マジック・ツアー締めくくりにして最大規模のネブワース・コンサートが終わり、9月末フレディは日本へ「買い物ツアー」をした後、自分がAIDSであることを知ることに。
他のメンバーもプライベートでゴタゴタを抱えており、1987年はクイーンとして活動しないこととなります。

彼がまず手がけたのがプラターズのカヴァー "The Great Pretender"。同年11月、タウンハウス・スタジオで、これがフレディとの初仕事であるマイク・モランとのアレンジと打ち込みで録音されています。まるで自分のことを歌っているような歌詞がシンパシーを生み、カヴァーしたのではないかと私は思っています。


The Great Pretender


この曲はシングル曲として2/23にリリース。このB面に入っていたのが、かの "Exercises in Free Love" でした。

Exercises in Free Love (87/1/?)


BBCの番組 "The Great Pretender" でのマイクのインタビューによれば、"Exercises in Free Love" は、B面曲を短時間で作る必要に迫られ、マイクがほぼ即興で演奏した「オペラ風」ピアノ演奏に合わせ、フレディがスキャットでその場でメロディを付け(おそらく若干の推敲の後に)短時間で仕上げた作品でした。(私が最初にこの曲を耳にしたときは、フレディ久々の美しいファルセットを聴けてただただ至福の境地でした。)つまりこの時点でこの曲は、モンセラが歌う前提ではなく作られた曲だったのです!まさかこの曲のリリース直後、モンセラから連絡が来ることになろうとは思いもしなかったでしょう。なんとフレディは強い運命の持ち主なのでしょうか。


さて、フレディは仕事が早いマイク・モランをいたく気に入り、おそらくこの流れで漠然と "Mr.Bad Guy" に続くセカンドアルバムの構想を練ろうということになり、翌87年1月より同じタウンハウススタジオ(数ヶ月ロックアウトブッキングしておいたのでしょう)にて、マイクとデモ作りを始めることとなります。
この時作ったデモで公開されているのが、

It's So You (87/2/3)


Horns of Doom (87/2/11)


I Can't Dance/Keep Smilin' (87/2/17)


Holding On (87/3/9)


Yellow Breezes (87/3/9)


の5曲。

これらを聴くと、音楽の方向性はまだダンサブルな "Mr.Bad Guy" 寄りでまだまだ荒削りな段階であり、サビも弱く、これだ!という「フレディ節」のフレーズはまだ見えていません。
(ちなみに "Keep Smilin'" は、末期癌でクイーンファンの少年のためだけにフレディが「プレゼント」した曲。これがマルチ素材で掘り起こされ、遂に日の目を見たものです!)


おそらく、モンセラの弟カルロスから、クイーン側に連絡が入ったのはこの頃ではないかと思われます。"As It Began"改訂版によればさらに具体的に、モンセラは、1992年のバルセロナオリンピックで歌うために、フレディにオリジナル曲を書いてほしい、というオファーをしたことも明らかになりました。

それを聴いたフレディは、きっと大興奮しながらも、ジャンルが違う楽曲を書くことを一瞬ためらったのでしょう。「各方面の説得を受け」、そのオファーを受けたそうです。

そうして昼食会が、バルセロナのリッツ・ホテルで、87年3/24にセッティングされました。


さて長い前置きでしたがここからが本題です!


"Rachmaninov's Revenge" と仮題が付けられ、後に “Fallen Priest” となる曲のデモが、上記5曲のデモに先立つ1/26に録音されているのです!

Rachmaninov's Revenge (Early Version) (87/1/26)


これは間違いなく、当初描いていたソロアルバムとは別に、オファーを受けてからあらためてモンセラのために書こうとしたスケッチデモであり、マイク・モランの才能とピアノの実力が先にあって、それにインスパイアされる形でフレディが即興で歌ったものでしょう。なのでまだこの段階では「デュエット」という形式は取られていません。

驚くべき事に、ピアノアレンジを含む楽曲の骨格はほぼ完成されており、最終的にボツになった展開部のアイディアが大変興味深い。ラフマニノフを実際に弾けないと、このアレンジはできないでしょうから!

そしてマイクがクイーンをよく知っていたのか、フレディと仕事するとなって勉強したのか、エンディング近くのピアノアレンジがあの "Queen II"の大作 "March of the Black Queen" のエンディングのオマージュのようになっているのが、初期クイーンファンにはたまらないところです!(きっとフレディもニヤリとしたでしょう)
ロックぽいドラムが入っているのも、まだ楽曲の方向性が見えていない証拠だと思います。

約3週間後、食事会も迫り、フレディはこのデモをもう少し膨らませようと再びスタジオ入りして、この “Latar Version” を作っています。

Rachmaninov's Revenge (Later Version) (87/2/?)


歌詞はまだフレディの即興のままですが、マイクがおそらく事前に仕込んできた打ち込みのオケが入り、後半の逆回転SEも含め、アレンジはほぼ完成されています。いかにマイクが緻密かつ早い仕事をしているかがよくわかりますね!

そしてこの "Rachmaninov" と、同時期に作った"Guide Me Home" のデモ、そして、偶然モンセラにも歌える曲だった、先に発表済みの "Exercises in Free Love" の3曲を持参し、フレディは3/24、バルセロナのリッツホテルに飛んで、14時からの「昼食会」に臨みます。

上記3冊の資料で若干の日時の記憶違いが見られますが、フレディ、モンセラ、マイク・モラン、ジム・ハットン、そしてフィービーのインタビューで、この昼食会の様子が詳細に語られています。

フレディ側は予定より早めに到着していたもののなかなかモンセラが現れず、フレディは気を揉んだり諦めようとしたりソワソワしていたというエピソードが、フレディらしくほほえましいですね。

モンセラが遅刻して現れ、遂に2人は運命の再会をします。数分の沈黙の後に自己紹介をした後、昼食をしながら「おしゃべりが止まらい」様子だったとか。

そして昼食後、フレディが「ちょっと聴いてほしいものを持ってきたんだけど、聴きたいですか?どうですか?」と切り出し、まずおそらくカセットテープでの「試聴会」が始まりました。
最初にかけたのは "Exercises~"。モンセラはこの時、美しい彼のファルセットに心奪われ、「あなたったらメゾソプラノみたいに歌えるじゃない!」と賞賛。この後おそらく、残りの2曲のデモを聴かせたのでしょう。

フレディはこの時当初から、彼女の「本命」の楽曲はこの3曲のどれでもなく「バルセロナ」というタイトルの別曲にしよう、と思っていたそうで、上記3曲は「B面候補」のつもりだったそうです。

しかしこの3曲を聴いたモンセラは「もっと他にないのか?」と問いかけ、フレディは半ばジョークで「これ以上曲があったら、アルバムになってしまう」と返します。すると彼女は「アルバムには何曲必要なのか?」と質問。フレディが「大体10曲」と答えると、「それなら一緒にアルバムを10曲レコーディングしませんか?」と切り出し、フレディは「椅子から転がり落ちそうなぐらい動転」。その瞬間、今まで録音していた自分用のデモの登場はなくなり、次のアルバムはモンセラとの「デュエットアルバム」になることが決定します。

その後ホテルのガーデンルームに移動し、午後の残りの時間をずっと使って、モンセラはフレディとマイクのピアノで「歌い合わせ」をして過ごします。ほぼ完成し、リリースまでされている "Exercises~" のおさらいがメインだったと想像できます。きっとマイクがメロディのスコアを準備していたはずです。

モンセラは "Exercises~" に魅了され、5日後の3/29に予定されているモンセラのロンドン公演のアンコールで歌う事をここで即決し、フレディに内緒で「あなたが伴奏するのよ」とマイクに伝えます。

3/29にモンセラがロンドンに到着、リサイタルは大盛況のうちに終わり、アンコールに約束通り "Exercises~" が「初披露」されます。観に来ていたフレディにはサプライズでびっくり。直前に彼はオーディエンスに紹介されて、初めて2人の関係が皆の知るところとなります。


Exercises in Free Love (Montserrat Vocal) (87/?)


そしてリサイタル後モンセラは、翌日の午前中に帰りの飛行機をブッキングしてあるにも関わらず、フレディの豪邸・ガーデンロッジに招かれ、そこで朝6時まで「打ち上げ」のセッションが始まるのです!
マイクのピアノによって延々6時間も続いたこの「伝説のセッション」の一部、冒頭1時間ほどがフィービーによってカセット録音され、そのごく一部が遂にBoxセットの "Rarities 2"に収録されました。
そこでまず2人が始めたのがなんと、ほぼ完成の域まで仕上げられていた "Rachmaninov" なのです!

The Duet (87/3/29)


ほら、フレディは冒頭の「決まった」メロディをモンセラに伝えていますね。
そしてその後始まった何気ないかけ合いが始まります。

フィービーが録音していたカセットテープ、いわゆる "Garden Lodge Tape" が聴けるのは本当に感激です。まるでその場に居合わせたような貴重なテープです。



この夜の二人のヴォーカルセッションで、フレディは具体的にどのようにデュエットするのか、というヴィジョンを掴んだのでしょう。

そしてセッションの断片から、3曲目になる "Barcelona" のアイデアが生み出されることになるのです!

Idea Barcelona (87/3/29)



このアイデアを元に、1ヶ月後の4/28にマイクがアレンジを練り、再びスタジオ入りして作ったデモが、こちらです。

Barcelona (Early Version) (87/4/28)


はい、もうこのクオリティで作り込んでいます。マイクとフレディの仕事の相性の良さがよくわかります。
というわけで結論ですが、もしこのBoxセットにある日付が間違っていなければ、フレディが事前に用意した「2曲目」は、"Rachmaninov" であることは間違いなさそうです!

この後 "Rachmaninov" はあの「ジーザス・クライスト・スーパースター」の作詞家ティム・ライス氏に送られ、堕天使と牧師との会話という素晴らしい内容の歌詞がつけられ、"The Fallen Preast" とタイトルを変えてアルバムに収録されることとなります。
サビにフレディが「ミーアモーレ~」と仮歌詞で歌っていた語感を残し "We're motal"(我々は死すべき運命)としたり、マーキュリーの名前をさりげなく "Mercurial more wayward by the hour" と使ったりするティムの言葉の選び方のセンスには脱帽します。
このまぎれもない名曲は、もっと評価されるべきだと思っています!


クイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーと、オペラディーヴァ、モンセラ・カヴァリエのデュエットアルバム「バルセロナ」。
フレディがエイズで死去する4年前に制作されたこのアルバムには、死と向き合う彼の壮絶な感情が詰まっています。
その中でも完成度が高い、6分に迫る長編のこの曲は、彼の最高傑作のひとつ。
ただ、ずっと翻訳がされなかったため、日本人にはなかなか理解されにくい作品です。
作詞は、「キャッツ」など数々のミュージカルを手がけるティム・ライス卿。
もっともっと知られて然るべき曲なので、私の訳でここに紹介します。

*****

「堕ちた牧師」
(牧師)
私を自由にしておくれ
私は犠牲の人生を生きた
しかし主と交わした約束はもはや私を束縛しない
マーキュリーの如く、日ごとに激しさを増す想い
足枷はすでに外れ、私の心はあなたの下にある
(女)
自由になるのよ(私は聖職者)
私の元へ来て あなたを導かせて(ここにいてはいけない)
さあお願い、一歩踏み出して
私の幸せはあなたのもの
私が知る限りの幸せだけど

我々は限りある命
運命のダイスを振る神の手の中
地上の楽園を探しても
見つけるのは難しい
我々は人間
弱さと情念による犠牲を払い
頂上へと到達する
(頂上から堕ちてゆく)
(牧師)
しかし私は主に仕えると約束した
堕落と罪に立ち向かう岩の如く
(女)
それは罪ではないわ
自由になり、あなたの人生を始めるのよ
自分自身に忠実であれ
(牧師)
私は聖職者
あなたと共にいてはいけない
私を自由に 我々は人間
(女)
さあもう少し、この火へ近づいて
愛と欲望を生きるのよ
愛を否定することは大罪
ふたりの愛は
生きていく強さと理由
(*くり返し)
(牧師)
なぜこんなにあなたを愛してしまうのだ
私の世界を壊し、何も返さないというのに
いっそ全てをおくれ
全てがほしい
我々は互いの腕により動けなくなってしまったのだ!
これが現実
これが全て
互いの愛によって捕らわれしふたり
そう、我々は全てがほしいのだ
(Lyrics by Tim Rice, Music by Freddie Mercury)


1993年11月、当時の恵比寿Guiltyで行われたフレディ・マーキュリー協会 (FMA) 主宰の「サンクス・フレディ・ライヴ」にて、おそらく世界初でこの曲を、僕がミュージカルシンガーのLynn Kaneさんと歌わせていただいたことはよき思い出です。


機会があればまたぜひ歌ってみたいのですが・・・


この曲を歌いたいというソプラノシンガーの方いましたらぜひご連絡を!

The Fallen Priest (Cover by Hayata Akashi, Male vocal only)


記事を読んでいただきありがとうございました。
私のオリジナル楽曲に興味のある方、こちらよりお求めいただけます。
どうぞよろしくお願いいたします。

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