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ドッペルゲンガーは、いる。

この話、上記タイトル通り「ドッペルゲンガーは、いる」ってことを書くわけなのだ、今から。

世界には自分にそっくりな人間が5人はいる(3人だっけ?)、などと聞いたことはある。

「いるかなぁー」

アフリカや欧米系の人種から自分にそっくりな顔はまず見つかるまい。
まぁ、中国や韓国・モンゴルとかのアジア系か、南米の日系人あたりとかネイティブ系とか、そのあたりには似た顔の人がいる可能性もあるのかな。

■第1部:明石白の中学時代

私が中学に入学してからというもの、いろいろ妙なことがあって部活にも入る気がしないくらい忙しかったんだけれど、なぜ忙しいかの理由となる説明の一部としては以下に詳しい。
(気になる方用にリンクをしておくが、本稿には直接関係ないです)

中学生の私は、

「まあ日本のどこかや中国あたりには似た顔の人もいるかもね」

とは思っていた。
そして本ばかり読んでいたあの頃、文芸作品などから「ドッペルゲンガー」などという言葉を知っていた。

主に2つの小学校の卒業生らが統合されて通うこの公立中学校は、1学年の人数は小学校時代の約2倍。クラス数も多かった。
それでも入学して半年ほど経つと、すっかり学校生活に慣れ、他のクラスの生徒たちにも注意を向ける余裕ができたものだ。

そんな時、私はある存在に気が付いた。

「自分にそっくりな人がいる」

時たま廊下ですれ違う、自分とそっくりの眼鏡をかけて(小学時代から私はド近眼で眼鏡を掛けていた)、同じようなショートめの髪型で、自分と同じ顔の彼女。

どうやら彼女もこちらを意識しているらしく、すれ違う瞬間私の顔を見る。

一瞬目が合い、すぐに視線を外す。
お互いまるでヤバいものを見たかのように。

そんな時、ゾクゾクする感覚と一緒に自分の頭の中に響いた言葉というのが、

「ドッペルゲンガーやで、これは」

なのであった。

ま、正確には「ドッペルゲンガー=そっくりさん」ではない。
だがまぁそこは中学脳ということでもう一緒くたである。

そんなにそっくりな人が自分の生活圏内にいるのか、と疑う人もいるだろう。でもこれ、ウソじゃないのよ。

■厨二、いや中二の明石白

やがて中学2年生になる時のクラス替えで、なんと例のドッペルゲンガーさんと一緒のクラスになった。

「に、似てるよね・・・!!」

教室の中で一緒になった途端、手を取るようにしてお互いが発した第一声である。
お互いクラスが違っていた頃は、なんとなく恥ずかしいし、きっかけもなく話しかけられなかったけれど、クラスメイトになった途端に、腹をくくって声をかける決心をしたのは、ほぼ同時だった。

彼女の名前は米林あゆみ。
早速あゆみちゃんと私は、お互いを比較した。

よく比べれば、違う部分もある。
あゆみちゃんと私の声は違った。
性格も好みも違った。
眼鏡も比べて見たら、デザインが少しだけ違っていた。

「似てるけど、違うよね」

そう言って笑った。

ただ、不思議と顔がそっくりだという事は話題にしなかった。
当事者同士ではうまく比較できなかった、というのが正しいのかもしれない。

結局、性格の違う私たちは、一緒の仲良しグループになるわけでもなく、ふわっとしたクラスメイト、お互いそんな存在になった。

やがて、彼女のことが気にならなくなっていった頃、私に不思議なことが次々と起こったのである。

■明石白、モテ期でもないのに知らない男子に話しかけられる

ある日の放課後。
私やクラスメイトたち数人はまだ教室に残っていた。
すると、教室にある廊下側の窓から上半身を突っ込むようにして、陸上部の男の子が私に声を掛けてきた。

「な。亀山いてる?」

存在は知ってるものの、全く会話したことない男子に急に声を掛けられびっくりした私。それでも、クラスメイトの亀山君が、他の陸上部の男の子と部室に向かっていたのには気づいていたので、

「部活行ったみたいやわ」

と答えた。
すると、声を掛けてきた男子は少し変な顔をして、何も言わずすっと消えた。

なんだ。
最初フレンドリーに話しかけたわりに、愛想悪いな。
一瞬モテたかと思ったのに。

■明石白、絶対モテ期ではないが、また知らない男子に声を掛けられる

ある時、私が廊下を歩いていると、同学年だがやはり全く喋ったことのない別のクラスの男子が、いきなり私に国語の教科書をぐっと押しつけてきた。

「これ、亀山に返しといて」

ひとことそう言ってそのまま走り去った。

「う、うん・・・?」

ほぼ知らない男子にいきなり頼まれてびっくりだが、クラスメイトの亀山君に教科書を渡すくらいは大した手間ではない。
ただ、教科書を押しつけられて、なんだか妙な気分である。

よく知らない別のクラスの男子が、ただ廊下を歩いているだけの私と亀山君とが一緒のクラスだということを、なぜ知っていたんだろう・・・?

私のことを前から気にしていた、とか? ふふ。

いやいやいや。それはない。
押しつけられた教科書と一緒に渡されるはずのラブレターもない。

そして私はあることに思い当たった。

「彼は私のことをあゆみちゃんと取り違えている!」

■ドッペルゲンガーは誰?

そうなのだ。
以前に亀山君が部活に行ったかどうかを聞いてきた陸上部の男子も、教科書返却男子も私のことをあゆみちゃんだと思って話しかけたに違いない。

実は、あゆみちゃんは陸上部に所属していて、県大会に出場するくらいの優秀な高飛び選手。そんな彼女はクラスメイトで同じ陸上部の亀山君といっちょ前に付き合ってたりしていた。中学生のくせにね。

だから彼らは亀山君の「彼女」であるあゆみちゃん(実は明石白)に話しかけ、亀山君の教科書を「彼女」であるあゆみちゃん(実は明石白)に返却しようとしたのだ。

そう言えば私、いきなり構内ですれ違いざまに、知らない男子にぽーんと肩や頭を叩かれたり、友人でもない女子からなれなれしく話しかけられたりしたことがあったわなぁ。
走馬燈のようにそれらが頭の中で甦る。

私が人気者になったんとちゃうわ。

いつも眠たそうにしている帰宅部(前述の通り事情があるからね!)の私よりも、陸上部のあゆみちゃんのほうが絶対友人・知人は多い。

あゆみちゃんのことを私だと間違える人はなくても、逆に私を彼女だと思い込む人は多そうだ。

そうなのだ。

「あゆみちゃんが私のドッペルゲンガーなんやない。私が彼女のドッペルゲンガーなんやで、これは

なんとも言えない気分である。

ところがその後、あゆみちゃんの身長が伸びた。
私も伸びたが、彼女のほうがもっと背は高くなった。
ガリガリだった私は、いつのまにか体重が増えてヤバかったけど、身長が伸びたあゆみちゃんは陸上選手らしくスリムなままだった。

中学3年になるころには、2人は最初に会った時ほど似ていなくなったような気がする。

クラス替えをしてあゆみちゃんと別のクラスとなると、それ以降彼女と話をする機会もなくなった。

実はその後一度だけ、大学生になった私が休みを利用して県外から帰省したときに、スーパーマーケットのレジでアルバイトをしていたあゆみちゃんに遭遇している。お互いすぐに気が付いて、少しだけ会話した。

彼女はすっかり美人になっていて、なんと、私はもうそのドッペルゲンガーにさえなれていなかったのである。

■第2部:明石白の大阪ライター時代に。

昔、大阪で深さん、というデザイナーのおっさんの事務所にタダで間借りしてフリーライターをやっていた。

「来る仕事はありがたく全部受ける」

そんな勇ましいポリシーで、いろんなジャンルの原稿をゴイッゴイに書いていた。企業案内リーフレット、小○館の『女性セ○ン』の記事、どっかのビルのネーミング、お城のキャラクターのネーミング、イベントや舞台の進行台本、千○会の通販商品の紹介や記事、ビデオスクリプト書きとか、観光地のアピール原稿とかそんなの。

まさに「一人ブラック企業」状態。
それでも随分修行になり、お金にもなった。
だが、当時はフリーでまだ半年だし、関西でも全くの無名。
署名記事などほとんどなかった。
(*当時は明石白と名乗っていなかったが、この記事では便宜上当時の名前も明石白としておく)

ところが、半年を過ぎる頃から新しいクライアントや知り合いなどから、

「ああ、明石白さんですね。『●●●●』だったかなぁ、雑誌でお名前を見たことがあります」

とか

「確か、ファッション雑誌でも素敵な記事を書いておられましたよね」

とか言われることがあった。

そうだっけ?
相手も雑誌名をはっきり言わないので、こちらは肯定も否定もしにくい。

「あ、はぁ・・・ありがとうございます」

とか適当に言いながら首を傾げることが2、3回ほどあっただろうか。

イヤな予感がした。


その頃、私は新大阪近くの新しいアパートに引っ越しした。
新築サイコ-、めっちゃお洒落に暮らしてやるで!
大家さんも同じ敷地内にある自宅に住んでおられる気のいい女性でよかったー。

で、入居初日の挨拶で大家さん宅に伺った時のこと。
問われるままに自分の仕事のことを説明すると、彼女は目を輝かせた。

大家「明石白さんだったの? 私、雑誌でお名前を見たことありますよ。まぁ、嬉しい。そんな方がアパートに入ってくださるなんて・・・!」
私「え。私そんな売れてないですよ」
大家「まったまたー。謙遜しなくていいですよ。1度じゃないんです。他でも見ましたから」
私「はぁ・・・」

冷や汗が流れる。
それ、私と違うで。
同姓同名の誰かや、きっと。


その後も大家のおばさんに、手作りの恵方巻(そう、何故か恵方巻なのだ)、果物などを頂いたり、私の実家からの荷物を留守中に受け取って頂いたり、ホントにお世話になった。

でも、大家さん、あなたが思っている人と私は別人です。

おばさんが親切にしてくれればくれるほど、居心地が悪くなっていった私の新築アパート生活。会うたびに書いてもない記事を褒められたものだった。

日本でのライター生活は長くなかったので、結局私は自分よりランクの上の記事を書いているらしきもう一人の明石白の存在を確認するには至らなかった。

一体誰やったんですかね?

■おわりに

2つ目の話はドッペルゲンガーでもそっくりさんでもないが、もうこの機会だ、と書かせてもらった話である。

人名以外(人名は仮名にしてます)ぜーんぶ事実だ。

どちらの話も、もう一人の自分に私本人がアイデンティティを少しばかり侵害されたような経験だったが、もちろん誰も悪くない。

そしてこれらの少し不思議で情けない話の中でいつも私は「もう一人の似た人物」の劣化版なんである。

はい、ドッペルゲンガーいてますよ、ここに。
とほほ。