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鶴姫の辞世 戦国百人一首⑱

伝説上だけの女性かもしれない。
その伝説さえも現代になってから作られたものの可能性がある。
それを承知してはいるのだが、あえて鶴姫(1526?-1543?)を採り上げることにした。

鶴姫

わが恋は三島の浦のうつせ貝 むなしくなりて なをぞわづらふ 

私の恋は、まるで三島の浜辺の空貝のよう。 虚しくて、彼の名を思い浮かべるだけでとてもつらい。

この『戦国百人一首』をまとめるに当たってかなりの数の辞世に触れたが、「辞世」だというのに、この歌ほどストレートに「恋」について詠んだものはまだ他に出会っていない。
(もし、他にお心当たりある方はぜひお知らせください)

鶴姫は、伊予国大三島(現在の愛媛県今治市大三島)にある大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)の第31代大祝職・大祝安用(おおほうりやすもち)の娘だ。
戦国時代、島を守るために三島水軍の女武将として戦った。

当時、中国・九州地方では周防の大内氏が力を拡大しつつあり、瀬戸内海へも進出しようとしていた。
大祝家当主の大祝安用は大山祇神社の神職だったため、戦の折は自ら戦場に赴かず、一族の者を陣代として戦場に派遣していたという。

1541年、大内氏の軍が大三島に侵攻。
当時大祝職は長男の安舎だった。河野氏、来島氏との連合軍で大内軍を迎え討つべく、陣代として2男の安房が三島水軍を率いて出陣。
だが、安房は討死した。

そこで鶴姫が立ち上がった。美しいが同時にたくましく育った少女・鶴姫は仲間を引き連れ軍に加わったのだ。
大薙刀を振るって活躍し、その年2度も大内軍を撃退したのである。

しかし1543年、どうしても瀬戸内海を勢力下に置きたい大内義隆は、もう一度大三島を襲撃した。
またもや鶴姫は、新たな陣代となった彼女の恋人・越智安成と共に戦ったが、その安成が討死してしまった。

大祝職の安舎は、ついにあきらめ、大内氏との講和を結ぶことを決断。
だが、鶴姫は残った兵を集め、今一度沖で停泊している大内軍に夜襲を掛け、大三島から追い出すことに成功した。
しかし恋人を亡くした鶴姫は、生きる望みを失い入水自殺して18年の生涯を閉じたのである。
これらは全て伝説だが。

今も、大山祇神社には、多くの武将たちが奉納した武具が多く残されている。源義経や頼朝が奉納したという国宝の鎧などが有名だ。

それらと共に展示されているのが「鶴姫所用の鎧・紺糸裾素懸威胴丸」だ。胸部が膨らみ、腰の辺りが細く締まっている細身の鎧である。
ぱっと見て素人でも「女性用の鎧か?」と思うほど、明らかに他の鎧とは違った形状である。

だが専門家によると、実は中世の甲冑が男女それぞれに作り分けられたことはないという。女性用の甲冑に見える当該の鎧も、より実戦的な甲冑が作られていった過程におけるデザインの一つらしい。
つまり男が着用する鎧だ、とのことだ。

確かに、展示されている甲冑類の中には、他にも腰の部分が締まった細身のものも見られるのだが。

研究結果は尊重したいが、「鶴姫の鎧」の細さ、デザインに一瞬「女性ものか?」とはっとするのも事実だ。
本当の持ち主は鶴姫なのか、それとも別の人物か。
展示ケースの中の青い鎧は何も言わない。