豊臣秀次の辞世 戦国百人一首52
「殺生関白」(摂政と関白という役職名にかけたあだ名である)と呼ばれるほど猟奇的で悪逆非道な人物だったと言われる豊臣秀次(1568-1595)。
しかし、現在の研究で彼の悪逆非道な行為は後世の創作であると考えられている。
月花を 心のままに 見尽くしぬ なにか浮き世に 思ひ残さむ
月も花も思う存分見ることができた。浮世に思い残すことはもう、何もない
秀次の父は尾張犬山城主や清洲城主を務めた三好吉房(出自についての詳細不明)、母は豊臣秀吉の姉・とも、つまり秀吉の甥っ子だ